4月を振り返って
2024年05月10日
4月の出来事
【青山周平がまたまた...】
月が変わって初旬、またとんでもない記録が達成された。青山周平が史上11人目の100V達成。それも、デビュー最短での記録を更新した。それまでは高橋貢が持っていたデビュー後13年0ヶ月0日だったが、青山はデビュー後12年8ヶ月8日で達成し、高橋貢の記録を塗り替えた。ちなみに、青山のデビューは2011年7月30日。初優勝は2011年9月2日。100V達成日は2024年4月6日である。本人のコメント「すごく嬉しいです。100Vは意識しないように、いつも通りやれることをやろうと思いました。少しホッとした気持ちと次に続く1勝に向けてまた頑張りたいです。レース道中は浅倉選手がすごく早いので冷静にいこうと思って走りました。地元で100Vを決められて、思い出に残るし良かったです。ファンの皆さんの応援のおかげで100Vを達成することができました。ありがとうございました。次の一走も頑張ります」
青山はこの後、4月下旬にSGオートレースオールスターで101Vを達成。これでSGは通算16度目の優勝。SG優勝回数で歴代単独2位になった。
【鈴木圭一郎が...】
4月11日に鈴木圭一郎が自身3度目の10連勝を達成。「(10連勝を達成して)緊張していたので、1着が取れて緊張がほぐれました。明日もいいレースができるよう頑張ります。応援よろしくお願いします」とコメント。
鈴木圭はこの後も勝ち続け、4月26日に16連勝を達成。それまで中村雅人が持っていた連続勝利記録15連勝を塗り替えて新記録となった。「記録を更新できて嬉しいし、ホッとしました。ピットの中で、16連勝を意識するか、普通にレースに挑む気持ちでいくか、どういう気持ちで挑んだらいいか考えました。でも、16連勝の意識しかなかったです。レースは冷静にいけました。明日からもリラックスして気を引き締め直してまた頑張ります。応援よろしくお願いします」とコメント。この後、2つ勝ち星を増やし結局、18連勝まで記録を延ばした。この数字は今後、なかなか抜かれないだろう。
【オートレース第38期選手候補生】
4月15日にオートレース選手養成所で第38期選手候補生の入所式が行われた。21名(男子16名、女子5名)が入所し、9ヶ月の養成期間を経て正選手として登録される予定。第38期選手候補生代表として竹尾竜星候補生が「本日は、私たちのために入所式を挙行して戴き、誠にありがとうございます。候補生一同を代表し、御礼申し上げます。また、有難い御訓示並びに激励のお言葉を賜り、感謝に堪えません。私たち第38期選手候補生は、これらの教訓を肝に銘じ、諸規則を遵守し、礼節を重んじ、感謝と決意を胸に刻み、日々切磋琢磨しあい、皆様のご期待に応え、立派な選手となることを誓います」と力強く宣誓した。デビューまでの期間が待ち遠しい。
【レジェンド健在】
4月29日に、飯塚オートレース場で開催していたSG第43回オールスターオートレース第3レースにおいて、篠崎実が1着でゴールし、自身が持つSG最年長勝利記録を更新(75歳63日)した。まだまだ走りは血気盛ん。今後も更なる記録更新に期待がかかる。
文/高橋
最終日の1着は...
2024年05月03日
最終日の成績はその後の心の持ちように影響を与えるようです。そんな中、最終日1着を取った選手に心情をお聞きしました。
60歳代選手A「最終日に1着だと、休みの間にちょっと気持ちが楽ですね。逆に着が悪いと次の開催までに何をやろうかと考えてしまいます。今も雨で勝てたけど、晴れがあまり良くないので、今度バルブを交換しようかなと思ってます。それでダメならクランクを換えようかと思ってます。予選中とかの大事なところで勝てないし、連対率が悪いですもん」
50歳代選手B「最後良ければいいけど、ダメな時は次に来て何の整備やろうかなって考えますよ。最後良ければ、次は何を上積みしようかなってなるけど、悪い時はどうやって調整しようかなって。いい時は上積みだけだからね。晴れのエンジンは重かった。回転が上がってないもん。まあ、バネと電気をやろうかな」
50歳代選手C「そりゃあ気分いいですよ。最終日に惨敗して、家に帰って不機嫌だと嫁に文句言われますよ。【最終日の成績って大事ですね】大事ですよ。【今回は1着で良かったですね?】暗くならずにすみます。開催中はレース場にいる分、いいですけど。最終日はどうしても引きずってますから。1日、2日は引きずりますから」
20歳代選手D「休み中は特に変わらないですけど、帰る時は気持ち良く帰れますよね。どんなレースでも1着は。一般戦だろうが優勝戦だろうが一緒だと思いますけど、今日は気持ち良く帰れそうです。【逆にエンジン状態が悪いまま節が終わった時ってどうですか?】いろいろ考えなきゃいけないですし、次のレースまでに何かパーツを換えようとかって感じにはなると思います。まあ今、自分もエンジン自体がいいわけじゃないので、現に一般戦モレしているし、何か改善しなきゃいけないんですけど。エンジンのベースが良くないですね」
40歳代選手E「【最終日の成績が悪いと、その後、家で何か考えたりしますか?】一瞬だけ(笑)。そうじゃないとイライラじゃないですけど、家族にも迷惑かけちゃうので。次の開催ではアレをやろうとか思って、1回忘れて、整備日とかに来てやってる感じです。あまり家に持ち帰らないようにしています」
50歳代選手F「何よりの薬です。気持ちがいいですね。どんなレースであれ。たとえそれが1Rでも何でも。まあ、それは後ろのレースに越したことはないですけど。最終日の1着は誰しもそうだと思うけど、次の開催に向けてのモチベーションも上がるし、その節、やったことが報われたと思って、何よりの活力源になります。なんだかんだ言って、これが1番です。【逆に最終日に成績もエンジンも良くなかった時ってどうですか?】考えちゃいますよね。でも、自分の場合はもう年齢的なモノもあるのか、若い頃に比べれば割り切って考えられるようにはなってます。若い頃は次に前検行ったら何やろうか、これやろうか考えちゃってましたね」
70歳代選手G「最高の気分。【逆に最終日に悪い成績だと?】ガックリしちゃうよ。今は最高の気分。次の開催までいい気分でいられるからね」
優勝した50歳代選手H「いやいやもう、ほんと、僕らはもうこの歳だから、何にも変わらないですよ。仕事だから淡々と走るだけですよ。全然浮かれないですし」
文/高橋
なぜ、新人選手がすぐ活躍できるのか
2024年04月26日
◆新人選手がデビュー後すぐに活躍するようになった理由◆
今年1月のデビュー以来、各地で大活躍している新人37期生。
その中でも伊勢崎の浅倉樹良(伊勢崎37期・24歳)はデビューから13連勝と、現全国No.1の青山周平(伊勢崎31期・39歳)のデビュー連勝記録を塗り替えて優勝。その後も優勝を飾り、現在通算18勝優勝2回と、今から将来のスーパースターを予感させる走りで、すでにファンを魅了しています。小柄で眼鏡を愛用している浅倉の強さと穏やかさのギャップもまた魅力だ。
また、浅倉と同期の福岡鷹(飯塚37期・23歳)と、森下輝(浜松37期・24歳)もデビューから白星を重ね、福岡は1着16回、2着なし、3着1回、着外4回、優勝2回。森下は1着16回、2着5回、3着なし、着外1回、優勝2回(いずれも2024年4月15日現在)と、デビューからわずか3ヵ月足らずでの快進撃に、驚かされている。
更に1期先輩で、2023年度最優秀新人賞を獲得した栗原佳祐(浜松36期・26歳)と、優秀新人賞を受賞した吉林直都(浜松36期・25歳)も、デビュー直後から絶大なインパクトを残す走りを見せてきた。
ロードレースから転向した栗原佳は、デビュー直後から衝撃のスピードを見せ、ハンデも新人とは思えぬ早さで重くなっていった。関係者の中には「すでに技量は新人のレベルを超えており、規定の2年間の2級車乗車期間を改訂し、1級車に乗せるべき」という意見が出る程であった。
デビュー半年でSGオートグランプリの出場を決めるなど、現在まで1着32回、2着27回、3着19回、着外50回、優勝2回と新人選手としては突出した成績を収めている。
吉林も昨年、デビュー2ヵ月後に初優勝を遂げると、同年10月、11月にも優勝を飾り、現在は1着36回、2着10回、3着11回、着外69回、優勝3回と優勝数では栗原を上回り、最重ハンの20m前という2級車としては過酷な条件でも健闘している。
これまでの新人選手は、養成所で最優秀賞を受賞するくらいの選手でもここまで記録的な活躍は見られなかったが、近年35期デビューの佐藤励(川口35期・24歳)辺りから、デビュー直後にすぐに活躍するシーンが目立つようになった。
要因は何なのか...
振り返ると、今年1月に第37期生の卒業式を取材した際に、養成所での訓練状況を説明する書類に気になる項目を見つけた。それは...、
〇走行訓練映像システムの増設
36期から取り入れた走行訓練の映像システム(3・4コーナー撮影)に、1・2コーナーを撮影するためのカメラを増設し、日々の走行訓練終了ごとに走行フォームの確認、落車事故の原因究明等に活用した。また、GPSロガーを競走車に装着し走行軌跡や最高速度到達点を確認するなど走行技術の向上に努めた。
とあった。確かにVTRにGPSがあった方が、技術の確認やレベルアップにつながるであろう事は容易に想像できる。
そこで、養成所の小俣所長に「36、37期のデビュー直後からの活躍は導入されたVTRシステムによるところも大きいのですか?」と聞くと、
「そうです!今までは候補生に指導するときも、教官の感覚による話でイメージがしづらかった部分もあったと思います。そこを候補生とVTRを見ながら指導、修正したりできるのは、大きかったと思います」とのことでした。
選手養成方法が年々進化しており、養成方法がアップデートされているのが、デビュー後に早い段階から活躍できる理由の一つだったのでした。
オートレース業界では、現在ツートップと呼ばれる青山周平、鈴木圭一郎が、長くけん引しています。
しかしここへきて、その牙城を崩せるのではないか、と期待を持てる新鋭選手の登場で、近い将来、群雄割拠の若手がしのぎを削り、大いに盛り上がるオートレースになるであろう事に、今からワクワク感が止まりません。
(文/金子)
3月の活躍した選手
2024年04月19日
3月のオッズパーク的MVPは佐藤励と金山周平
月間3度の優勝を決めたのは佐藤励と金山周平。佐藤励は3月2日の川口昼間開催、3月19日の川口ナイトレース、3月30日の山陽ミッドナイトで優勝。その間に川口のG1で優出3着という結果もある。良走路での試走は全て30を切り、ベストタイムは3月2日の優勝戦で出した23。他もほとんど25近辺の数字をマークしている。エンジンを高い状態で安定させることに成功している。そして、エンジンが良ければ乗り手の方もしっかりと結果を出している。これで佐藤励は通算11V(3月30日時点)となった。
金山周平は3月6日の飯塚ミッドナイト、3月13日の伊勢崎昼間開催、3月26日の伊勢崎アフター5ナイターで優勝。飯塚ミッドナイトでは最重ハンの20メートル前からの競争だったが、その後の伊勢崎昼間開催では初日からハンデが10メートル重くなった。それにも関わらず連続優勝を達成。スタートが決まらず、更に同ハンの中で1度は後ろまで下がってしまったが、そこから巻き返しての優勝。エンジンが良いだけではなく、乗り手の方も周りの動きが良く見えていた。3月は全部で15走し、4着以下は3回だけ。金山周平もエンジン好調をキープできていた。
3月中に2度の優勝があるのは新人37期の森下輝。3月5日と28日の浜松で優勝している。5日の方は自身初優勝で、デビューしてから12走目。そこまでの成績は1着11回、2着が1回。つまりデビューしてからオール連対で初優勝を成し遂げている。その後の節は準決に乗れなかったが、その次は初日から4連勝で完全V。通算2度目の優勝となった。同期では浅倉樹良、福岡鷹の活躍が目立っているが、この森下輝もそこへ加わり37期の3本柱を形成している。
3月に行われた記念レースは3つ。まず最初は山陽のG2ミッドナイトレースで、ここでは新井恵匠が優勝した。これが記念レースでは約5年ぶりの優勝となった。記念タイトルはG1、G2を含め4つ目。残すはSGのみとなっている。川口で行われたG1開設記念グランプリレースは青山周平が制した。同タイトルは2014年に獲得して以来、2度目の栄冠。4月からは全国ランク1位に返り咲き、青山周平の時代はまだまだ続きそう。山陽で行われた特別G1プレミアムカップは鈴木圭一郎が優勝。4月からは全国ランク2位に陥落したが、巻き返しの態勢は十分整っている。
川口での昼夜同時開催では谷島俊行が両方の優勝戦に進出していた。昼間開催の方で優勝し、夜も優勝すると同日に2度優勝という快挙がかかっていたが、先述のとおり、夜は佐藤励が優勝し大記録達成とはならなかった。しかし、今後の話題としては十分なものを提供してくれた。23日の飯塚ミッドナイトの優勝戦は別府敬剛が制した。別府敬剛は1月に2度優勝しており、今年は早くも3度目の優勝となった。今年は別府敬剛にとって特別な年になりそう。
文/高橋
難走路への対応
2024年04月12日
一日を通して良走路、もしくは重走路なら対応もしやすいが、徐々に走路が変化してくると...。
4月9日の川口オートは暴風雨で第1Rが始まり、そこからは雨も風も徐々に治まっていったが2、3Rあたりはまだ走路に水たまりができていて最も悪条件でのレースとなった。その第2Rで1着を取った選手は「(水たまりの)抵抗がないようになるべく足をつかないようにして走りました。足をつくと水の抵抗で、足が後ろに持っていかれちゃうので。風も強くて難しかったですね。試走はうまく走れなかったです」。やはり通常の重走路とも違い、気を使った走り方になるようだ。
第3Rで勝利した選手からは、ひと味違ったコメントが聞かれた。(今日の雨は降り方がひどかったですね)と話を振ったところ「いや、これが一番好きです。雨が降れば降るほどみんなが走りにくくなるし、みんな嫌がれば嫌がるほどチャンスあるので」と、逆転の発想もあるようだ。特殊な重走路にも「あまり足をつかないようにした。足をつかないで走ればいいのは知っていたし、ちょん、ちょんとつくくらいにして走りました」。対策面もバッチリだ。
第5Rあたりからは水たまりがなくなってきたが、そのレースを制したのは雨巧者で定評のある選手。(同じ重走路でも濡れ方とか水の量とかで感じは違いますか?)「全然違う。試走からタイムが違うしね。でも、自分は走り方は特に変えない。川口走路は外を回れるから。他の場は違うよ。今日の2Rとか3Rだと足がつけないくらいだったから足を持っていかれちゃうけど、今はそんなに水がなかったからね。(今さらですけど、重走路をこなすコツとかあるんですか?)コツなんかないよ。セッティングも晴れと変わらないし。メンタルがでかいよ」。雨巧者のコメントに多いのが『雨は気持ちで乗る』だ。
第7Rくらいになると、走路に乾いた部分がポツポツと見え、いわゆるブチ走路。(走路状況が変わってきて、レースも難しかったと思いますが?)「どこまで(車を)寝かせていいか分からないから怖かった。まだ寝かせられる、まだ寝かせられるって探りながら走ってました。朝練は嵐の中、乗りましたよ。その時とレースは全然、状況が違ってました。朝は水がたまっていたから、キャブの調整だけ変えていって、レースは乗りやすかったですよ」。走路状況の変化に、キャブ調整で合わせられた様子。
第8Rの試走ではだいぶ走路の水気が減ってきたが、レース前に小雨が降り、再び走路一面に乾いた部分がなくなった。そこで1着の選手は「まあ、濡れ切っちゃったんで、重走路だと思っていきました。タイヤも雨タイヤでいきました。タイヤは迷ったんですが、もう1回雨が降ってくれたので結果的に良かったです」。タイヤの選択が走路状態にうまくマッチしたようだ。
第9Rは試走で雨が降っていたがレースでは止んで走路はブチに近かった。1着選手は「エンジン的に乗りやすかったです。自分の場合はドシャ降りだからセッティングをどうするとかはなくて、内を回りたいか外を回りたいかによってセッティングを変えます。今日はうまく合ってくれましたね」。
第10Rはだいぶスピードが出る走路状況に変わっていった。「1、2コーナーはまだ滑る感じで3、4コーナーは食いつく感じがありました。3、4コーナーの方が乾きが早かったかな」と1着選手のレース後のコメント。走路状態はかなり特殊だったようだ。「自分は雨でも晴れのセッティングで乗るんですよ。前は雨のセッティングもやってたんですけど、そこまでやると訳わかんなくなっちゃうので。乗り方は変えますけどね」。難走路でも乗り手でカバーしていた。
第11Rになると、ほぼ良走路に近いタイムが出ていた。勝った選手は「ほとんど9割方晴れだった。準備も晴れ用で行ったよ。今日はレースまでに3回タイヤを換えたよ」。走路コンディションを考えて入念にタイヤを選び、それが奏功。
優勝戦は上がりタイム3・378が出て良走路と言える状態だった。優勝者は「いろんなパターンのタイヤを作っておいてって感じで、タイヤの準備が忙しかったですね」。万全の状態でレースに臨めるように手を動かしていた。
走路の状態によって選手はいろいろ対応を考えなければならないので大変ではあるが、それがうまくいった時は喜びもひとしおだろう。
文/高橋