各地の3歳注目馬〜佐賀・名古屋編
2024年05月22日
各地で3歳戦が盛り上がる"ダービー"の季節。ただ、地方競馬の"ダービー"は今年、大きな様変わりとなった。
地方競馬では2010年に始まった『ダービーウイーク』から『ダービーシリーズ』へ、全国の"ダービー"を連携して盛り上がってきた。しかしこの度の"ダート競馬の体系整備"の中核として南関東の三冠が今年からすべて中央と交流のJpnI格付の"ダート三冠"となったことで、ダービーシリーズは昨年まででその役割を終えた。
それでもこの10年ほどで地方競馬は売上をV字的に回復したことで全国的に賞金が上昇。各地の"ダービー"に相当するレースは今年すべて1着賞金が1000万円を超え(ばんえいを除く)、シリーズではなくなったとはいえ注目のレースであることに変わりない。
ただダート競馬の体系整備によって、地方競馬の"ダービー"は東京ダービーが唯一であるとして、今年から東京ダービー以外は"ダービー"を名乗ることができなくなり、いくつかの主催者では今年からレース名が変更されている。
栄城賞で二冠なるかウルトラノホシ
今年も全国のトップを切って"ダービー"に相当するレースが行われるのは佐賀。例年どおり、5月最終日曜日の26日に行われる。
かつて九州には佐賀競馬場のほかに、大分県の中津競馬場、熊本県の荒尾競馬場があり、『九州競馬』として連携した2001年から『九州ダービー栄城賞』として行われてきたが、前述のとおり"ダービー"の名称が使えなくなったため、2000年以前の『栄城賞』というレース名に戻った。
ちなみに"栄城"とは佐賀城の別称で、かつて佐賀藩(鍋島藩)が"栄の国"と呼ばれていたことに由来する。
今回の栄城賞で、まず注目となるのは、一冠目の佐賀皐月賞を制したウルトラノホシだ。2歳時はネクストスター佐賀、カペラ賞と重賞連勝のあと、全日本2歳優駿JpnI(川崎)に出走。地方馬では北海道のサントノーレ(3着)に次ぐ6着と好走した。そして3歳となり、佐賀から新たなダート三冠へ挑むべく、再び南関東に遠征。ブルーバードカップJpnIII(船橋)では地方馬最先着の4着、勝ち馬から0秒2差という健闘の走りを見せた。そして一冠目の羽田盃JpnIへの出走権を得るべく雲取賞JpnIII(大井)へも遠征。中団から位置取りを上げ、5番手で直線を向いた。前にいる地方馬は北海道のサントノーレだけ。地方馬は上位2頭に羽田盃JpnIへの優先出走権となるため、そのままゴールすれば羽田盃の切符をつかむところだった。しかしゴール寸前、船橋のフロインフォッサルにクビ差交わされ(6着)、惜しくも優先出走権は得られなかった。それでも羽田盃JpnIはフルゲートにならなかったため、「出る」と言えば出られたと思われる。しかし陣営は地元三冠に舵を切った。そして出走した佐賀皐月賞は、スタートいまいちで中団からの追走となったが、4コーナー手前で抜群の手応えのまま一気に先頭に立つと、直線では後続を寄せ付けずの完勝。栄城賞にも断然人気での出走となりそうだ。
対するのは、佐賀皐月賞で2番人気ながら4着だったトゥールリー。2歳時は九州ジュニアチャンピオンを制し、ネクストスター佐賀、カペラ賞では、それぞれウルトラノホシの3着、2着だったが、その後6連勝。ウルトラノホシが留守になった佐賀で台頭した。園田に遠征したネクストスター西日本は高知勢が上位3着まで独占となっての6着。佐賀皐月賞は前述のとおり4着だが、2番手から3コーナー過ぎでウルトラノホシより一瞬早く先頭に立つという、勝ちに行っての結果だけに、その着順だけで見限るのは早計だ。
飛燕賞でトゥールリーの2着、佐賀皐月賞で3着と安定して上位争いをしているのがトレベルオールで、さらなる距離延長をこなせるかどうかがカギとなりそう。
佐賀皐月賞では10番人気ながら2着と健闘したデッドフレイもここまで4着以内を一度も外していない堅実な成績だけに、再度の好走も期待できそうだ。
東海優駿は混戦か
名古屋の東海ダービーは、『東海優駿』と名称変更し、5月29日に行われる。
もともと1971年の第1回から第9回まで東海優駿として行われていたが、80年の第10回から東海ダービーとなり、中央との交流となった96年からは名古屋優駿、再び地方重賞となった2005年に東海ダービーに戻り、さらに今回、東海優駿という当初のレース名に回帰することとなった。
東海地区のこの世代は確たる主役不在の混戦。それを象徴するかのように、一冠目の駿蹄賞は、3番人気→8番人気→4番人気という波乱の決着となった。
2番人気のミトノウォリアーは4コーナー手前で先頭に立って直線を向いたものの、失速して4着。しかしなんとそこから中5日で笠松の新緑賞に出走。2着に3馬身差をつけての快勝で、あらためて東海地区の世代トップクラスである実力を示した。東海優駿へはそこから中2週という日程で臨むことになりそうだ。
駿蹄賞で1番人気に支持されたのはスティールアクター。ホッカイドウ競馬のシーズン終了後に転入し、重賞初挑戦の新春ペガサスカップは3着だったが、スプリングカップ、笠松・ジュニアグローリーと連勝し、移籍後6戦5勝。東海地区の三冠はこの馬が牽引するかに思われた。ところがネクストスター中日本は出走取消。前述駿蹄賞は、3番手追走から4コーナーでは抜群の手応えで前をとらえにかかったように見えたが直線ばったりで7着。同厩舎のミトノウォリアー同様、中5日で笠松・新緑賞にエントリーしたものの競走除外となった。順調には使えていないようなので、東海優駿は果たしてどうか。
そして駿蹄賞を6馬身差で圧勝したのがフークピグマリオン。中団から3コーナー過ぎでまくって出ると、直線で突き抜けた。2歳時にはゴールドウィング賞を制し、前走ネクストスター中日本からの連勝で重賞3勝目。新春ペガサスカップは2着、スプリングカップはスティールアクターの3着だったが、後半末脚勝負というタイプだけに展開に左右される面はありそう。ただ長く脚を使えるだけに距離延長はいいはず。駿蹄賞のレースぶりから、東海優駿では人気の中心になりそうだ。
笠松所属馬では、2歳時にデビューから5連勝でネクストスター笠松を制した牝馬のワラシベチョウジャが期待となりそう。その後は勝ちきれないレースが続いたが、新緑賞でミトノウォリーアに3馬身差2着と復活の兆しを見せた。
文/斎藤修
【私的名馬録】園田のアラブが中央挑戦「インターロツキー」
2024年05月15日
1989年5月5日、兵庫大賞典を制したインターロツキー。このときの鞍上は田中道夫騎手。
日本競馬界の歴史に名を刻んだ名馬・競馬ファンの記憶に残る名馬の活躍を競馬ライターたちが振り返る私的名馬録。
今回のテーマはー
「アラブのメッカ」。アラブ専門の競馬場だった園田は、サラブレッド導入の1999年以前はこう呼ばれていた。
サラブレッド中心の中央とは違う独自の競馬を繰り広げているという関係者の矜持が込められたこの言葉が好きだった。
その一方で、地方出身のオグリキャップやイナリワンの中央での活躍を見て、園田にサラブレッドがいないことを寂しく思ってもいた。
そんな私が驚いたのは1992年の春先だった。
この年からJRAは地方との交流拡大のため、芝のオープン特別4レースを地方馬へ開放すると発表していたが、その1つのテレビ愛知賞(6月27日、中京・芝2000m)に兵庫からインターロツキー(武田廣臣厩舎)が出走することが報じられた。
地方のアラブの中央挑戦は史上初。「そんなことできるの?」が正直な気持ちだった。
当時、牡8歳(旧表記)のインターロツキーは58戦27勝。
重賞は兵庫大賞典3勝をはじめ、61キロで勝った播磨賞など計7勝の"園田の怪物"だった。
ただ、関係者の間では「園田のアラブのオープンは中央500万(現1勝クラス)くらいの実力」と言われ、サラブレッドの中央オープン相手では苦戦必至と言えた。
しかし、関西のスポーツ紙は「園田の怪物、中央へ殴り込み」と大きく取り上げ、左回りの中京への対策として、右回りの園田を逆回りで調教する姿などを報じた。
アラブの怪物の挑戦に、マスコミも熱い視線を注いだ。
当時の様子を武田調教師はこう振り返った。
「内心、勝つのは無理と思ってたが、取材が結構来て、本当にありがたかった。勝てなくてもアラブのメッカの名に恥じない走りを見せないとと思った」
土曜のレースに備え、月曜に園田で追い切ると水曜日には中京入り。
木、金曜と芝で調整し、金曜には主戦の平松徳彦騎手が騎乗し感触を確かめた。
平松騎手は「何から何まで初ものづくし。無欲の挑戦だった」と当時の心境を語った。
単勝は16.3倍の7番人気(12頭立て)。
本来ならしんがり人気でもおかしくないが、ファンの心情馬券が人気を高めた。
パドックや馬場入場では、武田調教師が「出走馬の中で一番、声援が大きかった」と言うほどだった。
レースはサラブレッドのスピードについていけず最後方追走から11着に終わった。
とは言え、園田のアラブの中央挑戦は後にも先にも、ただ1頭。
地方に枠を広げても、2年後の吾妻小富士オープンに挑戦した大井のトチノミネフジのみ。
今はなきアラブ競馬の歴史を中央にも刻む偉業を担った。
インターロツキーは92年一杯で引退。
引退レースとなった園田金盃は、向正面で置かれる大ピンチの中、4コーナーでエンジンがかかると、直線でグングン差を詰め、クビ差、差し切る劇的な勝利だった。
引退式では詰めかけた1万人を超えるファンに別れを告げ、園田を去った。
生涯成績65戦31勝。
その功績だけでなく、果敢に中央のサラブレッドに挑んだその姿は今も燦然と輝いている。
文/松浦 渉
OddsParkClub vol.61より転載
悲願のばんえい十勝オッズパーク杯制覇のメムロボブサップ、目指すは千代の富士!?
2024年05月07日
飛行機で降り立った瞬間、「北海道はでっかいどー!」「は~るばる来たぜ北海道!」と毎回言いたくなるのはなぜでしょうか。
オッズパーク会員のみなさん、こんにちは。競馬リポーターの大恵陽子です。
今回、新千歳空港から高速バスに乗り込み、向かった先は帯広。
この日は帯広競馬場でばんえい十勝オッズパーク杯が行われるのです。
約2時間半。山間を走り、次第にパッチワークのような緑と茶色の畑が見え始めると、十勝地方。帯広駅でバスを降りると、ひんやりした空気が肌をかすめました。
JR帯広駅に到着。市内には桜が咲いていました。
さぁ、ここから競馬場へ。
......というところなのですが、まだお昼過ぎ。ナイター開催のため第1レースには早いし、帯広周辺は温泉の宝庫。モール泉という、古代の植物が堆積してできた地層を通って湧き出た湯はアメリカンコーヒーのような濃茶色をし、5分も浸かれば体の芯からポカポカしてくるんです。
というわけで、路線バスに乗って約10分。モール泉が楽しめるスーパー銭湯が第一目的地となりました。490円というお手頃入浴料ながら、期待を裏切らぬいいお湯。東京から約1ヶ月遅れでやってきた北海道の春の空気は爽やかで、露天風呂で清々しい汗を流しました。
そうして向かった帯広競馬場。
スタンド壁面の写真はいつ見ても迫力たっぷり
ん?なんだかものすごい人だかりができているぞ!と歩いていくと、群衆の先にいたのはばんえい競馬でお馴染みの芸人・スキンヘッドカメラさんたち。その後には吉本芸人も登場して、「オッズパークpresents吉本芸人大集合!」のお笑いステージが行われました。
大盛況だったお笑いステージ
スタンド1Fでほっこりする醤油ラーメンをすすり、入場門外にある「とかちむら産直市場」で人気ナンバーワンという本格ポテトチップスを買い、珍名馬で人気のウチュウジンのパドックを見てはしゃいでいるうちに、日は暮れてあっという間にばんえい十勝オッズパーク杯の時間となりました。
ナイター照明の下、パドックに一番に入場したのは誘導馬。胸前には手作りのマキバオーのタペストリー、頭にはチュウ兵衛親分が乗っていて、オッズパークのイメージキャラクター『みどりのマキバオー』の世界観たっぷり。
漫画『みどりのマキバオー』の世界観たっぷりの誘導馬
マキバオーは手作りで愛嬌あふれます
続いて入ってきた出走馬の中に、ひときわ迫力のあるマッチョな馬がいました。
「あっ、これがメムロボブサップか!」
ボブサップといえば、平成の時代にお茶の間を賑わせたゴリマッチョの格闘家を思い出しますが、メムロボブサップの父ナリタボブサップがまさにそんな馬だったと地元ファンは話します。背も高いし、幅もあって筋肉もすごかった、と。
メムロボブサップのムッキムキの筋肉はその父の遺伝子なのでしょうか。
阿部武臣騎手の勝負服カラーに合わせた紫と白のボンボンをたてがみにつけ、輝いて見えます。
そういえば、ばんえいファンの友人がこう言っていました。
「メムロボブサップはパドックで元気が良すぎるくらいの方が状態がいい、と個人的には思っているんです」
目の前のメムロボブサップはパドックを出ていく時、ゲートに向かう道と、何度か走り出しそうなくらいの気合いを見せました。
「これは好調の証なのかな!?」
過去3度敗れたばんえい十勝オッズパーク杯の悲願の制覇へ、期待が高まります。
他の馬たちも素晴らしく、コウテイも迫力ある体で、オーシャンウイナーは水色(もしかして海色!?)の飾りをつけて闊歩、アオノブラックやインビクタもカッコいい体に映りました。
1,100kg超えのコウテイ
水色の飾りをつけたオーシャンウイナー
2021年、22年とばんえい十勝オッズパーク杯を連覇しているアオノブラック
昨年覇者のインビクタ
でもやっぱりメムロボブサップが勝つところを見たいなぁと思い、第二障害の2番レーン(外詰め)にカメラの設定を合わせて発走を迎えました。
馬場水分は1.4%。
スタートして一斉に9頭が駆け出すと、砂埃が舞い上がります。シャンシャンという音とともに第一障害を先頭で駆け下りたのはメムロボブサップ。その後、第一障害と第二障害の間を6回刻み前半57秒でスムーズに第二障害に先頭でたどり着くと、障害のかかりしなで失敗した昨年とは打って変わってスンナリと第二障害もクリア。
余裕の手応えで先頭を譲らぬまま、2着アオノブラックに5秒2差をつけて完勝しました。
圧倒的な力を見せて第18回ばんえい十勝オッズパーク杯を制したメムロボブサップ
堂々の勝利で、記念撮影時にはあくびをする余裕さえ
口取り撮影にはこの日、お笑いライブで盛り上げ、表彰式プレゼンターも務めた吉本芸人のみなさんも
オッズ・パーク株式会社賞を受け取る竹澤一彦オーナー
「やっと獲れました」
安堵の笑みを浮かべた阿部騎手。4度目の正直でばんえい十勝オッズパーク杯初制覇となりました。
「2年は雨で馬場が軽くなってアオノブラックに敗れ、昨年は障害でアクシデントがありました。先行して前に行ければ余裕があるだろうし、障害さえ越えれば、と思っていました」
「4度目の正直で今年獲れてよかったです」とオッズパーク杯初制覇を喜んだ阿部武臣騎手
表彰式ではプレゼンターのスリムクラブ・真栄田賢さんがお祝いに財布から現金を渡そうとして、笑いに包まれる場面も
坂本東一調教師もこう話します。
「重量が700kgくらいまでならすごく気分よく行く馬なんです。年齢による衰えは全くありません」
メムロボブサップの(左から)竹澤一彦オーナー、坂本東一調教師、阿部武臣騎手
ばんえいは開幕の4月は斤量が軽く、シーズンが進むにつれて重たくなっていくというシステムに加え、賞金を獲得していくと重賞では追加で重量を背負うことになりますから、この先は重量との戦いもあるでしょうが、今年はいくつ重賞を勝つのだろう、とワクワクさせるレースでした。
ところで、ばんえいは初心者の私。思い切って坂本調教師にこう尋ねてみました。
「素人目にもメムロボブサップは迫力ある馬体で輝いて見えました。プロの目から見た長所は?」
すると、こんな答えが。
「私を見ていれば、そのまんまだと思います」
えっ!?
あ、カッコいいということでしょうか。
「あはは。マイクがないとたまにこういう冗談を言うんですよ(笑)。ボブサップはどちらかというとレースは自分で作る馬で、今日のようなパターンになってくれれば大丈夫。若い頃はばん馬では小さい方で、他の馬と比べたら50〜100kgくらい軽くて、背も小さかったんです。でも、筋肉はすごく張っていますよ。相撲界で言えば、舞の海や千代の富士。千代の富士くらい強くなってくれればいいねぇ。相撲とばん馬は一緒で、『食べれ。太れ』。調教で汗をかかせて、食べられるだけたらふく食べさせます。そうじゃないと荷物に負けちゃいますからね。昼休憩の時間帯や夜中に厩舎へ見に行って、エサを残していたら『ちょっとどこか変なのかな』と思います」
私が感じた迫力は、体の大きさというよりも、幅のある体や立派な筋肉からくるものだったのかもしれません。
正面から見ると、幅のある馬体であることがよく分かるメムロボブサップ
さて、阿部騎手は今後の夢をこう語ります。
「メムロボブサップがまだ勝っていない重賞を獲りたいです。あと、ばんえいグランプリ四連覇をしたいですね」
ばんえいシーズン最初の重賞・ばんえい十勝オッズパーク杯を制し、メムロボブサップの新たな一年がスタートしました。
文/大恵陽子
岩手競馬inニコニコ超会議2024-60周年記念コラボ- へ行ってきました!
2024年05月07日
4月27日・28日に千葉市の幕張メッセで「ニコニコ超会議2024」が開催されました。
今年は岩手競馬60周年を記念したブースが出展されると聞きつけ、オッズパーク編集部が遊びに行ってきました!
ニコニコ超会議とは、ネットとリアルが融合した日本最大のサブカルチャーの祭典です。
VTuber、アイドル、コスプレイヤーなど、クリエイターやインフルエンサーに会いに、今年は12万5362人もの方が来場しました。
28日のニコニコ超会議の様子
そんなニコニコ超会議の魅力の1つが、様々な企業が協賛するブース。今年は岩手競馬が60周年を記念して「岩手競馬inニコニコ超会議2024-60周年記念コラボ-」と題したブースを出展していました。
まず目を引くのが、正面にある7頭の競走馬が走り抜けるカッコよくて迫力のあるパネル。この日のために準備したそうです。ブースの横側にあったパネルには、60周年を迎えた感謝の言葉やこれからの熱い思いがつづられていました。
熱い思いがこもったパネル
岩手競馬設立60周年を記念の注目ポイントの1つが「アイドルマスターミリオンライブ!」とのコレボレーションです。こちらは正面のパネルの一部でもありました。その第1弾として、ポストカード、クリアファイル、ステッカーといったオリジナルコラボグッズが当たるコラボガチャがあり、アイドルマスターミリオンライブ!のファンはもちろん、競馬ファンの方も楽しんでいました。
コラボガチャはみなさん楽しまれていました!
大人気だったのが、28日に行われた競馬好きでもある声優 都丸ちよさんを迎えての予想会!競馬初心者の方にも分かるよう、都丸さんが岩手競馬の概要や馬券を購入するためのマークカードの書き方、都丸さんの良い馬を見極めるコツなどを説明後、参加者の皆さんと岩手競馬場で開催中のレースをリアルで見ながら実際に単勝の予想を楽しみました。見事的中した方には、アイドルマスターミリオンライブ!のノベルティやジャンボ焼き鳥のプレゼントが!競馬好きの方も競馬初心者の方も大いに盛り上がっていました!
岩手競馬×都丸ちよ 岩手競馬予想会の様子
その他、岩手(盛岡)競馬場の名物ジャンボ焼き鳥の販売やニコニコのマスコットキャラクター「ニコニコテレビちゃん」とコラボしたステッカーの配布など盛りだくさんのブースでした。
ちなみに、ジャンボ焼き鳥は編集部もいただきました!ずっしりとした焼き鳥は食べ応え充分!岩手競馬を訪れた際にはぜひ食べてみてください!
名物のジャンボ焼き鳥とテレビちゃんコラボステッカー
なお、28日にはオッズパークも協賛させていただきました。お越しいただきました皆様、ありがとうございました!
最後に、岩手県競馬組合の安田龍さんより、素敵なコメントをいただいたのでご紹介いたします。
岩手県競馬組合 安田龍さん
「今回ニコニコ超会議に参加したのは、岩手競馬が今年度で60周年を迎えるため、競馬場に来てくださるお客さんはもちろんの事、ネットが当たり前となっている若い方々にも魅力をPRするために参加させていただきました。
60周年を機に、さらにドラマチックな展開にご期待いただけるよう『ドラウマチック』を2024シーズンはキャッチコピーとしています。
今年は全日本的なダート競走の改革もあり、それに伴い盛岡競馬場で9月に開催される不来方(こずかた)賞がJpnIIへ昇格となり、これで4つ(※)のダートグレード競走が岩手競馬では開催されることになります。ダートグレード競走を4競走も持っている競馬場はあまりないため注目していただきつつ、ドラウマチックなレースを展開していけるように頑張りますので応援よろしくお願いいたします。」
※マーキュリーカップ(メイセイオペラ記念)(JpnIII/7月)クラスターカップ(JpnIII/8月)、不来方賞(JpnII/9月)、マイルチャンピオンシップ南部杯(JpnI/10月)
60周年に向けてこれから盛り上がっていく岩手競馬と共に、オッズパークも頑張っていきます!
小牧太騎手の兵庫復帰宣言にドキドキ
2024年04月27日
NARグランプリ2023で最優秀勝利回数調教師賞2度目の受賞となった高知の田中守調教師と、小牧太騎手が地方競馬教養センター時代の同期というのは知っていた。1985年(昭和60年)にそれぞれ高知、園田で騎手デビュー。田中守さんは2002年に調教師となり、小牧騎手は04年にJRAに移籍。まさか令和の時代になってこの2人のコンビが実現するとは、うれしい驚きだった。
3月28日に園田競馬場で行われた、ネクストスター西日本。田中調教師が管理するリケアサブルは、前走兵庫ユースカップ(姫路)を勝っていたこともあって1番人気。小牧騎手を鞍上に3番手から4コーナーで前2頭をとらえると、直線抜け出しての完勝。三宅きみひとアナウンサーの実況も盛り上がったが、現地のファンはおそらくもっと盛り上がったことだろう。
小牧太騎手でネクストスター西日本を制したリケアサブル。馬の左2人目が田中守調教師(写真:兵庫県競馬組合)
小牧騎手が園田で重賞を勝ったのは、じつに20年ぶりとのこと。この日はネクストスター西日本も含めて6レースに騎乗し、2勝、3着2回という活躍だった。
小牧騎手は、4月11日も園田競馬場で条件交流競走ほかに騎乗。そしてこの日に行われた記者会見で、兵庫に戻るべく地方競馬の騎手試験を受けるということが明かされた。
小牧騎手は1985年10月にデビュー。8年目の1992年には181勝を挙げ、それまで兵庫では不動のリーディングだった田中道夫騎手(現調教師)を抑えて初めて兵庫リーディングとなった。
交流元年と言われた1995年、中央・地方の交流が盛んになったが、しかし当時の園田・姫路競馬はアラブ系のレースしか行われておらず、馬とともに中央のレースに挑戦する機会はなかった。
とはいえ中央で騎乗する機会がまったくなかったわけではない。初めてJRAで騎乗したのは1993年3月6・7日。1992年から96年まで中山競馬場で行われた、若手騎手による国際騎手招待競走、ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップの第2回に地方代表として、川崎の河津裕昭騎手(現調教師)とともに出場。勝利こそならなかったものの、4着、12着、3着、4着という成績で総合4位となった。
余談になるがこの年、日本のファンの度肝を抜いたのがランフランコ・デットーリ騎手。全4戦のうち3勝を挙げ、第1回に続いて2年連続での優勝だった。
その93年、小牧騎手は12月に阪神競馬場で行われていたワールドスーパージョッキーズシリーズにも地方代表として出場。初日のエキストラ騎乗でJRA初勝利を挙げ、さらにシリーズ第2戦でも勝利を挙げ、表彰式で大泣きしたことでも話題となった。
兵庫にも1999年からサラブレッドが導入され、以降、小牧騎手も兵庫所属馬とともに中央に挑戦する機会が増えた。
中央で初めてのオープン勝ちは、同年8月29日、小倉日経オープンをアグネスワールドで勝利。同馬はその年、武豊騎手でフランスのG1アベイユドロンシャン賞を制した。
2001年にはローズバドでフィリーズレビューを制してJRA重賞初勝利。この年はロサードで小倉記念も制した。
その01年にはJRAで20勝、翌02年には21勝をマーク。当時、「近5年、JRAで年間20勝以上2回で、JRAの騎手試験の一次試験免除」という特例があり、小牧騎手にはこれが適用され、二次試験にも合格。04年3月からJRAの騎手となった。
JRA移籍前まで、地方競馬通算3376勝(ほかJRA74勝)、そして移籍後はJRA910勝(ほか地方64勝、4月25日現在)。JRAのGIは、08年に桜花賞をレジネッタで、09年に朝日杯フューチュリティステークスをローズキングダムで制している。
地方騎手としての在籍は、1985年10月から2004年2月まで18年5カ月、JRA騎手としては今年で20年を越え、もはや地方よりもJRAでのキャリアのほうが長くなった。
そんな小牧太騎手が、兵庫に戻ってくるかもしれない。
「かもしれない」というのは、5月11日に実施されるという地方騎手の一次試験(筆記)、さらにその後に行われる二次試験に合格しなければならない。が、果たして。
これまで地方から中央に移籍した騎手は10名いるが、もし合格すれば地方から中央へ、そして地方に復帰、という例は初めてのこととなる。
文/斎藤修