【私的名馬録】切磋琢磨して鍛えた強さ「テンショウボス」
2024年06月12日
07年みちのく大賞典から快進撃のテンショウボス
日本競馬界の歴史に名を刻んだ名馬・競馬ファンの記憶に残る名馬の活躍を競馬ライターたちが振り返る私的名馬録。
今回のテーマは─
同世代のライバル。
私はBNW(ビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウイニングチケット)の三強世代に競馬を覚えたこともあり、同じ世代の強豪同士がしのぎを削り合う姿を想像するとちょっと胸が躍る。
岩手の同世代のライバル......というとファンの方それぞれに思い入れある馬がいるのだろうが、自分は2006年の"三強"を挙げてみたい。
オウシュウクラウン、サイレントエクセル、テンショウボス。
06年の岩手ダービーダイヤモンドカップで1着から3着を占めたこの3頭のそれぞれの戦いぶりは、今でも自分の心の中に"同じ世代に強いライバルがいる重要性"を投げかけてくれるように思う。
2歳から3歳にかけては、もしかしたら"2強+1"だったかもしれない。
オウシュウクラウンはジャパンダートダービーGIで3着に、サイレントエクセルはダービーグランプリGIで3着に食い込んで見せた。
テンショウボスはしかし、まだそこまでの実績がなかった。
3頭が揃って出走した06年桐花賞の単勝オッズが当時の評価を端的に示している。
ライバル2頭が単勝ひと桁台の1、2番人気に支持された一方でテンショウボスは離れた6番人気。
そしてレースを制したのはオウシュウクラウン。
テンショウボスは僅差に健闘したものの4着。
当時としては、そう、"2強+1"の立ち位置だったと言うべきなのだろう。
だが4歳になってスポットライトが当たり始めたのはテンショウボスだった。
オウシュウクラウンは古馬になって伸び悩み、結果的にその桐花賞がキャリア最後の勝利となった。
サイレントエクセルは牝馬戦線で活躍し続けたが、4歳9月の青藍賞で勝って以降テンショウボスに先着できなくなった。
テンショウボスは、07年の一條記念みちのく大賞典を勝つと、マーキュリーカップJpnIII・4着、クラスターカップJpnIII・3着に入着。
冬には北上川大賞典、桐花賞も制した。
同一シーズンにこの3つの根幹競走を制した馬はトウケイニセイ以来でありその後は登場していない......といえばどれほどの快挙か分かっていただけるだろうか。
07年のシーズンを終えて世代トップの座に就いていたのはテンショウボスだった。
当時同馬を担当していた田嶋厩務員が「馬が180度変わった」と評したのは3歳秋のこと。
馬自身の素質の開花だけでなく、全国レベルの戦いを見せたライバル2頭をベンチマークに切磋琢磨できたこともテンショウボスのその後の活躍につながったに違いない。
しのぎを削り合う仲間がいてこそ自分も強くなる。
"「強敵」と書いて「とも」と読む!"みたいなノリまでは言いすぎかもしれないが、しかし1頭より2頭、2頭より3頭。
互いに競い合い、互いに高めあえるライバルがいる事が、やはり理想なのだと思う。
文/横川 典視
OddsParkClub vol.67より転載