差が付き始めた38期たち
2025年11月21日

【川 口】
養成所の最優秀選手を引っ提げて川口デビューした上原大輝が18勝と伸び悩んでいる。38期の最初に優勝戦乗ったのはさすがと言えるが、いまだに優勝はなし。デビュー2走目で初勝利を挙げた運天諒雅は3月15日の落車後はパッとしない成績だったが、最近になってタイムが出始めて素質が開花しつつあり、優出2回と健闘してる。染谷和香はデビュー2節目に落車し、その後も車券の対象になっておらず最高位は4着だが、中盤以降の走り方に工夫できれば、ステップアップも夢ではない。当面の目標は上がりタイム3.50を切ることだ。

【伊勢崎】
佐々木光輝は雨にも風にも負けない気持ちの強さがあり、気温が下がってきてからは常速3.43前後の上がりタイムを計時。優勝はないが、近い将来に『V』の文字を手繰り寄せられる選手だ。直前のアフター5で今年4回目の優出(結果は総評欄に↓)。浜田樹来は2着1回あるが、その他は末着が多い。抜かれてあっさり後退してしまうので、もう少し粘り強さが欲しい。加えて、試走タイムも出せるようにしたい。

【浜 松】
鈴木景斗は川口で1度優出しており、現在14勝ながらレース内容は徐々に良くなってる印象。地元走路に限るが、雨でもなかなかの成績を挙げている。瀬戸尾侑宏は地元で3勝と一歩一歩進んでいる。デビュー前半で4勝挙げた宮司佳奈が足踏み状態なので、早く追い付き追い越したい。脇川大樹は9月の飯塚デイレースで初勝利。まだ、乗り手とマシンのバランスが取れてないが、マッチすれば...。坂本茉奈は先日、伊勢崎の雨走路で待望の1着。雨の方が得意なのかもしれない。めざすは良走路の1着だ。

【飯 塚】
竹尾竜星は9月4日のオーバーミッドで初優出し、見事1着ゴールで38期の優勝一番乗りを果たした。その自信からなのか、最近の乗りっぷりは目を見張るものがある。21勝と38期全体でも圧倒してる。壷井亜羅汰は雨で5勝、良走路は3勝の合計8勝と歩みは遅いが着実に力は付けてる印象。藤井真弘はつい最近、11月16日の飯塚ミッドナイトで竹尾とともに優出。結果は7着だったが(竹尾は3着)、準決で3.45出した動きを見てると逃げるレースなら期待が持てる。現在12勝と急激に走りが良くなった選手のひとり。田中海斗は8月の飯塚で初勝利を挙げたが、その1勝のみ。安定感が出てくればいいのだが...。


【山 陽】
養成所では川口の上原に次ぐ選手で、現在16勝と18勝の上原を猛追してる植村愛悠斗。10月に若獅子杯に出場したが、節間にフライング2回。4日目と5日目は2着に粘って大器の片鱗を見せた。その植村をしのぐ走り見せてるのが藤本悠仁。若獅子杯では1着1回、2着と3着1回ずつと期待に応える動きだった。現在19勝と竹尾竜星を追う。浜松以外の4場で勝利を挙げており、レース場に左右されない強みがある。日名子幹正は、まだ5勝ながら上がりタイムが出てきたので、展開次第では車券に絡める可能性秘めてる。小松俊輔は未勝利でタイムも3.50切れてないが、11月19日の山陽で3着と自己初の掲示板となった。小川可蓮は10月の山陽で初勝利挙げたが、その後は8着が多くなってしまう。
《総 評》
竹尾はライディングが飛躍的に良くなったのが活躍できてる証。師匠に岩見貴史というのもプラス材料だ。これから走路が冷え込むので、しっかりとタイヤを喰い付かせられるか、更にペースアップも可能だ。佐々木光も伸び代はたっぷりありそう。本場の伊勢崎は消音マフラーではなく、スピードが出ても操縦できる環境は整ってる。(最新ニュース)4度目の優勝戦は11月19日のアフター5。逃げ切りと思われたが最後、桜井晴光に差されて無念の準優勝。自己タイム更新しただけに、実に惜しかった!
【トップ5】
優勝回数 優出回数 勝利数 地元最高タイム
① 竹尾 竜星 2回 1回 21 3.419
② 藤本 悠仁 2回 0回 19 3.429
③ 佐々木光輝 4回 0回 17 3.416
④ 上原 大輝 1回 0回 18 3.435
⑤ 植村愛悠斗 1回 0回 16 3.426
※データは2025年11月19日終了時点
(文/中村)
年末までもう待てない 第40回スーパースター王座トライアル出場16名が決定!
2025年11月14日


早いもので、あと1ヵ月と少しで2025年の年末を迎える。そして、おおみそかのスーパースター王座決定戦へ出場する8名を決めるトライアル戦へ出場する16名が決まった。

まずは、全日本選抜優勝の青山周平。伊勢崎の競走成績1位も兼ねている。続いてはグランプリを勝ってグランドスラマーの仲間入りした鈴木圭一郎。言わずもがな浜松の競走成績1位である。そして、先日の日本選手権を獲ったばかりの佐藤励はオールスターに続きSG2冠となった。この3名はSG覇者として優先出場。
続いては川口の競走成績1位が黒川京介。SG・プレミアムカップ優勝戦ポイントでも断トツの1位だったが、こちらが優先になる。飯塚の競走成績1位は有吉辰也で出場は6大会連続。山陽の競走成績1位は松尾啓史だ。※競走成績の審査期間は2025年1月1日~10月31日
SG・プレミアムカップ優勝戦ポイントは1位が金子大輔、2位が鈴木宏和、3位に佐藤摩弥。佐藤摩弥はガールズ王座でも出場権利あったが、格上のSS王座トライアル出場となる。以下、4位・荒尾聡、5位・中村雅人、6位・早川清太郎、7位・佐藤貴也、8位・伊藤信夫、9位・吉林直都、10位・篠原睦の以上16名がトライアル出場を決めた。
佐藤励と吉林直都がトライアル初出場となり、最多出場は荒尾聡の22大会連続出場(安定感はバツグン)で、2017年にはSS王座に輝いてる。
今年で第40回を数えるスーパースター王座決定戦は昨年覇者が鈴木圭一郎、その前が青山周平と第34回(2019年)から、この両者でタイトルを獲りあっており、青山周平は2019年からSS3連覇の偉業も成し遂げた。
今年は川口を本拠地とする黒川京介と佐藤励が、上記の2名に割り込みそう。というか今年の黒川京介はスタート、スピードがズバ抜けており、佐藤励もスピードを増しており、捌きでは黒川京介を上回る評価。ちなみに11月12日に開幕したG2オートレースメモリアル初日の選抜予選では、黒川京介が飛び出して圧勝し、2番手に付けた鈴木圭一郎を佐藤励が捌き、場内はどよめいた。
どうやらオート界の勢力図が変動期に入った感があり、来年から1級車に乗り換わる37期の動向にも注意が必要だが、現在S級15名と全国で一番多く輩出してる川口王国の地位を他場の選手が揺るがすかどうかの構図は続きそうだ。

初日にはガールズ王座決定戦も組み込まれており、出場する8名は以下の通り。ガールズ王座予選ポイント1位が新井日和、2位は岡谷美由紀、3位に西翔子、4位が松尾彩。5位は稲原瑞穂、6位に本田仁恵。加えて競走成績1位として小椋華恋、2位が前年にガールズ王座獲った高橋絵莉子の計8名。新井日和はこの中で唯一、今年の日本選手権を経験しており、勝利こそなかったがオール0mで戦った貴重な体験のアドバンテージがある。※競走成績の審査期間は2025年1月1日~10月31日
スーパースター王座決定戦は2025年12月31日(5日目)の12R、ガールズ王座は12月27日(初日)の10R(現時点では未発表)。どんなドラマが待ってるのか、今から楽しみでならない。
(文/中村)
オートレース場ヒストリー
2025年11月07日
今回は前回に続いて、オートレース場の歴史に関する後編を述べていきたい。
『大井オートレース場』
1951年10月に東京都議会でオートレース場建設促進に関する請願が採択され、12月の都議会本会議で大井競馬場にオートレース場を併設することが決まった。走路は周長500メートルのアスファルト舗装で、全国で初の舗装走路と都心にあるオートレース場ということもあって、関係者の大きな期待を寄せられての開場となった。1954年11月28日にオープンしたが、思うような売り上げ、入場者数にはならなかった様子。原因の一つとして、選手が舗装走路に不慣れのため、レースに迫力を欠き興味が薄れたこともあったようだ。開場してから15年を経過した1969年1月、当時の東京都知事が都営ギャンブルの廃止声明を出し、廃止が決定された。そして、1973年3月22日の開催をもって最後を迎えた。しかし、全国初の舗装走路で開催されたことは、その後の全国舗装がスムーズに実現できるようになった要因として大きな功績を残した。
『浜松オートレース場』
浜松市は1952年ごろから競馬場の設置を推進していたが、1954年に正式に不許可になった。ちょうどその頃、競争法の改正があって、レース場の所在市町村に開催権が与えられることになったため、浜松市もオートレースの開催に乗り気になり、オートレースの実施が浜松市議会で決議された。そして、1956年5月1日にオープンした。ちょうどその時に「浜松まつり」が行われていた影響もあってか、来場者数、売り上げともに上々の滑り出しをみせた。
『飯塚オートレース場』
飯塚市は浜松市と同様に、オートレースの施行権が市町村に与えられると開催意向を表明し、1955年に飯塚市議会でオートレース場の建設が議決された。建設地は多少もめたが、今の場所に決定し、1957年2月22日に九州で初のオートレース場として飯塚レース場が誕生した。開場当日は天候にも恵まれ、近隣から多くのファンが集まった。
『山陽オートレース場』
前編に登場した『柳井オートレース場』が1957年に休止になったため、移転先を探していたところ、厚狭郡山陽町が名乗りを挙げ、1958年9月に山陽町議会でオートレース場の設置が決まった。しかしその後、いろいろと紆余曲折があり、実際に誕生したのは1965年までかかってしまった。その4月10日に初開催を迎え、入場者数、売り上げともに大成功で、翌日の日曜日には一万人以上のファンでスタンドが埋まったという。
『伊勢崎オートレース場』
大井オートレース場が1973年に廃止されると、その前後から群馬県榛名郡榛名町と伊勢崎市がオートレース誘致に動き出したが、最終的には伊勢崎市に誘致されることになった。1976年10月6日に伊勢崎オートレース場が完成し、その3日後に初開催となった。初日は天候に恵まれなかったが、入場者数、売り上げともにまずまずのスタートを切り、翌日の日曜日は天候にも恵まれ多くのファンで賑わい大成功を納めた。
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前編では触れなかったが、『船橋オートレース場』は2016年3月に廃止になっており、現在は全国で5つのオートレース場が存続している。
文/高橋
オートレース発祥の日
2025年10月31日
10月29日は『オートレース発祥の日』ということで、これまでに誕生したオートレース場について述べてみたい。今回は前編。
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『船橋オートレース場』
オートレースは1950年10月29日に千葉県船橋市にある船橋競馬場のコース内側で初めて開催された。なぜ競馬場が選ばれたかというと、オートレース場の建設には広大な敷地と莫大な資金が必要だったが、1950年6月に船橋競馬場が建設されたことから、その馬場の内側にダート走路を設置することで各関係者の合意が得られた。開催当日は約3万4千人の大観衆がスタンドを埋め尽くしたという。
『園田オートレース場』
兵庫県尼崎市にある園田競馬場を使用し、関西地区初のオートレース場となる園田オートレース場が1951年10月5日にオープンした。当初は芦屋と尼崎の候補地のうち、芦屋に決定をみられていたが、そのレース場が建設されるまでの間の暫定的なものだった。開催初日からの3日間は、まずまずの売り上げがあったが、後半3日間は大幅に減少してしまった。その後も売り上げが不振だったため、1953年1月に登録取り消しが決定した。
『長居オートレース場』
かつて大阪にもオートレース場があった。当初は専用オートレース場を建設する予定だったが、費用の都合で当時あった長居競馬場の走路やスタンドを改修して併設使用することになった。長居競馬場の隣接地には大阪中央競輪場があり、その売り上げが好調だったため、オートレース事業も大いに期待された。そんな中、1951年11月1日にオープンしたが、売り上げは予想外の結果で良くなかった。また、隣接する小学校のPTAから、騒音のため学校の運営に支障があるとして反対運動が起きたのもあって長居オートレース場は1952年4月6日を最後に閉幕となった。開催日数は、わずか16日だった。
『柳井オートレース場』
1951年11月20日に山口県で柳井オートレース場が誕生した。ここは柳井競馬場跡を利用したものであって、周長は1000メートルの走路であった。売り上げがそこまで良くなかったことに加え、1955年9月に台風の影響で堤防が決壊し、レース場施設は全半壊の災害を被った。それでも施設者の復興決意によって1956年1月に再開にこぎつけたが、売り上げが著しく落ち込み1957年10月3日を最後に休止に追い込まれてしまった。
『川口オートレース場』
埼玉県では設置候補地として大宮市、川口市、戸田市が名乗りを挙げたが、県議会本会議での投票で最終的に川口市に決定した。そして、1952年2月1日に開催初日を迎えたのだが、前夜からの大雪により、開場式典は行ったもののレースは順延になった。改めて迎えた開催初日の入場、売り上げともに期待はずれの数字だった様子。
『甲子園オートレース場』
兵庫県では園田オートレース場がなくなった後、甲子園競輪場の走路の内側にオートレースの走路を設置し、甲子園オートレース場が誕生した。その当時、甲子園競輪場の売り上げが良かったため、オートレースの売り上げも期待され、1953年3月17日にオープンしたが思うような数字には到達しなかった。その後、2年開催されたが売り上げは下降線を辿り、兵庫県知事の廃止声明により1954年度の開催をもって甲子園オートレース場もなくなってしまった。
文/高橋
史上最速で青山周平が1000勝達成!
2025年10月24日

先日の伊勢崎オート10月20日に完全優勝を果たした青山周平選手。この優勝が史上34人目(現役19人目)の通算1000勝及びデビュー最速1000勝(デビュー後14年83日)となり、飯塚将光選手(船橋・9期)が1989年11月2日に達成したデビュー最速1000勝(18年223日)の記録を大幅に更新しました。
青山周は2011年7月30日にデビューを果たしてから、負けなしで2節間で9連勝(デビュー2節は勝ち上がり権利なし)と手が付けられない状態。勝ち上がり権利を得た3節目に4日間開催で優勝。ところが、この優勝戦でフライングを犯しており連勝は12でストップとなってしまった。
ロードレーサーからの転身で全日本チャンピオンの経歴を持っており、資質は折り紙つきだった。オーバルコースで周回を重ねるのは思いのほか難しいのだが、彼は着実に力を付けて行った。ただ、SG優勝戦に乗ってもなかなか優勝できないジレンマはあったと思う(G1は獲ってる)が、ついに2015年のスーパースター王座でその栄冠を手にする。
翌年、2016年のオールスターも制してSG2冠とすると、2018年グランプリ、同年の選手権も優勝。スーパースターにいたっては2019年から3連覇を成し遂げ、2021年に全日本選抜を取ってデビュー最短のSGグランドスラマーとなる。
デビュー100Vも最短で達成しており、現時点では数々の最短記録を保持しているのだが、青山周平の1期後輩に鈴木圭一郎が現れて、その後はNo.1の座を争うライバルとなったのは皆さん周知の通り。その鈴木圭も着々と1000勝に近づいており、青山周平の最速記録を上回る勢いがある。オートレース界は黒川京介ら新しい勢力の台頭もあるが、まだまだ青山周平にはトップレーサーとして引っ張っていただきたいものだ。
(文/中村)



