車名の由来 7
2025年06月13日
君和田裕二...プンバァ2。「いつものディズニーシリーズからです。この前は『ジーニー』で、今回はライオンキングに出てくるイノシシの『プンバァ』です。(2を付けたのは何でですか?)いつも2は付けるんですけど、お守りのナンバーなんですよ。全部2を付けるようにしてるんですけど、そうするとみんなに1があるのか?って言われるんですけど、ないんですよ(笑)。(ディズニーは好きなんですか?)子どもが小さかった時に最初付けて、車名をまとめようとするとディズニーシリーズならいっぱいあるなって思って、それ以降付けてるんですよ」
浅田真吾...ウーパールーパ。「元々、最初に1級車に乗った時に『ランドシャーク』っていう車名にして、そのシャークからのつながりで次につけたのが『ベルーガ』っていう自分の地元の水族館で有名な白イルカなんです。そういうのを踏まえたら水族館シリーズになっちゃって。他にも『マンタ』とかも思ったんですけど、ウーパールーパーも水族館で印象深かったし、かわいいし好きなんで車名にしました。ほんとだったら『ウーパールーパー』ってしたかったんですけど、車名は7文字までなので、しょうがなく『ウーパールーパ』にしました(笑)」
広瀬勝光...フドウシン。「不動心は吉岡さん(元競輪選手・吉岡稔真さん)の座右の銘を頂戴しました。吉岡さん大好きなので。おととしに新車で『タツヨシ』っていうのも乗ったんですけど、全く出なかったので(笑)。『フドウシン』が一番、自分には合うと思ったので今も乗っています」
田辺誠...リフザファンク。「友達の昔のメールアドレスです。一緒にオートレーサーの試験を受けた人がいて、その人のです。今はそのメールアドレスを使っていないと思うんですけど、高校の時からの友達で、当時は1週間のうち5日くらいは一緒に遊んでいたぐらい仲が良かったんです」
高塚義明...ウラジツ9。「出身校から付けたんです。自分、浦実(浦和実業高校)の野球部だったので付けました。9は野球のナインという意味で。この前、春の選抜で甲子園に出ていましたよ。それがあってかどうか分からないですが、エンジンも良くなりました(笑)。野球は小中高とずっとやっていました。高校は自転車で3、40分かけて通っていました」
町田龍駿...R・ドラゴン。「元々、デビューした時に『ターボドラゴン』だったんですよ。ターボっていうのは地元の自分のあだ名で、ドラゴンは自分の名前の龍駿の龍から取って付けたんですけど、そこから『T・ドラゴン』に変わって、今の『R・ドラゴン』は息子が生まれた時に、りょうまと名前を付けたので、Rに変えたんですよ。ただ、今、悩んでいるんですよ。娘もいるから、また車名を変えないといけないかなと思って」
上原大輝...ビッグ・グロー。「自分の名前から付けました。『大きい』に『輝く』なので、それを英語に変えて付けました。最初、エンジンに名前を付けるんだと思って、どうしようかなと思ったんですけど、最初はこれでいいかなと思いました」
文/高橋
落車後の作業について
2025年06月06日
オートレースに落車はつきもの。そこで今回は落車した後の競走車の修理作業やその様子についてお伝えしたいと思います。
落車が起こったあと、負傷した選手はそのまま医務室にて診断、治療が施されます。軽傷や無傷の場合はそのまま自分のロッカーに戻りますが、重症の場合は救急車で病院に搬送されます。
競走車は検査場という所に運ばれてきます。
検査場に運ばれてきた競走車。時にはハンドルが曲がり、時にはフェンダーが飴のようにひしゃげ、時にはタイヤのスポークまで折れて飛び出している事もあり、落車時の衝撃の強さに驚かされます。(もし、こんな衝撃が人体に直接加わったら...)と身震いする思いです。改めて、選手は命がけで走っているのだと気づかされます。
競走車は、各レース場の競走会の検査課の方が破損している場所をチェックします。この時、被害落車した選手の競走車の、破損場所の部品は全額修理代が保証されます。ただし上限金額はあるとの事。また、落車妨害した選手の競走車も一部は保証されるようです。
ギリギリの所を攻めて競走をしている以上、事故はつきもので仕方ないのですが、部品の保証はあったとしても、ケガ以外に、エンジンのバランスが崩れてしまい不調になったり、ヒザ当てと言われるバイクを膝で抑えるバーが破損して、乗り心地が悪くなるなど、選手は「落ちなくて(落車しなくて)良かったー」という声が良く聞かれます。落車した後の後遺症がけっこう大きいからですね。
さて、検査課の検査の後、5~10名の選手が一斉に落車した選手のロッカーでの修理に集結します。その姿はまるで、人間がケガをして出血した時に、傷口をふさごうと一斉に集まってくる白血球のようです。(わたくし、某映画に影響されすぎですね...汗)
主に落車妨害をしてしまった選手が、被害を受けた選手の競走車を直すシーンが多く見受けられます。ただ、落車妨害をした本人が負傷してしまった場合は、同じ整備グループの選手が、代わりに競走車を直す姿が通常のシーンとなります。
また、遠征車の場合は多少ルールが違うようで、たとえば川口に遠征に来ている山陽の選手が落車した場合、同じく遠征で川口に来ている山陽の選手が派閥、年齢関係なく修理を手伝うといった流れのようです。
それゆえに、落車した選手が翌日勝利した時の勝利者インタビューで「周りの人に競走車を直してもらって(出走できた事を)感謝しています」というコメントが聞かれたりするのです。
山陽のベテラン選手は「自分らの若い頃は、今みたいに派閥を超えて修理しに行くことはなかったんだよね」と語ります。以前は「派閥内で修理する、派閥以外の手は借りない」という、矜持というか結束も強かったのでしょう。
落車は「百害あって一利なし」に近いのですが、まれに「落車してフレームを換えたら、落車する前より乗りやすくなった」という事が聞かれます。
これは、フレームの悪さ(経年劣化や輸送によるゆがみやひびなど)が乗りにくさの原因であったが、なかなか気づく事が難しく、落車によってフレームを換えざるを得なくなったことにより、乗りにくさが解消したというケースです。
(文/金子)
オートレースの売り上げの推移
2025年05月30日
近年のオートレースの車券売り上げは前年度比で上昇の一途をたどっている。直近10年を振り返り、その動向と理由を推察していきたい。
2015年度は678億4959万4800円で前年度比が101・5%だった。
2016年度、654億1626万6300円で前年度比96・4%
2017年度、659億5313万2000円で前年度比100・8%
2018年度、704億4768万7200円で前年度比106・8%
2019年度、738億9166万6800円で前年度比104・9%
2020年度、946億4554万800円で前年度比128・1%
2021年度、1032億9495万2700円で前年度比109・1%
2022年度、1075億4718万7700円で前年度比104・1%
2023年度、1091億3117万円で前年度比101・5%
そして、2024年度は1176億9078万400円で前年度比107・8%を記録した。
2016年度だけは前年度比で100%を割ったが、これは2016年3月をもって船橋オートレース場が廃止になった影響が大きいと思われる。それ以外の年度は常に前年度比で100%を超えている。
2013年からオッズパークでも車券を購入できるようになったが、今ではネット投票が車券の売り上げに大きく貢献している。
オートレースの醍醐味は、実際にレース場に足を運んでの生観戦。レース場で買った車券を握り締め、レースの行方を心を躍らせながら見るのが楽しいのは間違いないが、現地に行くには時間も労力も必要とする。レース場の近くに住んでいればいつでも行けるが、そうでない人がほとんど。更に、例えば伊勢崎オートレース場の近くに住んでいても、手軽に行けるのは伊勢崎オートレース場だけとなる。そこから浜松オートレース場や飯塚オートレース場に行くとなると、もはや旅行の域。もちろん旅行の意味も兼ねて、もしくはオートレース場に行くのが主目的でもいいが、気軽に車券を買うとなるとネット投票の方が何倍も楽。
2015年からはミッドナイトオートレースが始まった。これは無観客での開催のため、現物の車券を買うことができない。ネット投票が車券を買う主な手段になるのだが、これが購買層との生活リズムに見事にはまった。一日の用事を終えた夜の時間帯にオートレースを楽しめ、車券を購入できる。数十年前と比べ、インターネット環境も大幅に良くなっているので、リアルタイムでストレスなくレースを観戦できる。また、ミッドナイトレースは車立てが少ないことが多く、車券が当てやすいという特徴がある。当たった配当金で繰り返し投票できるので売り上げの数字は上がる。
今はオートレースの売り上げの約75%はネット投票でのものとなっている。近年のファンの生活様式、レースの開催形態を考えれば順当な結果と言える。ネット投票を取り扱っている会社はいくつかあるが、その中でも最も売り上げシェアが高いのがオッズパーク。ホームページの充実度や、さまざまなキャンペーンを行っており、ネット投票の売り上げをけん引している。
文/高橋
「スマートリレー」ってこんな感じです
2025年05月23日
以前、このコラムで「スマートリレー」に少し触れたが、大綱が発表されたので再び取り上げてみたい。
デイ、ナイター、ミッドナイト開催において、発走時間帯が重ならない、「オートレース スマートリレー」はレース数を11R制で実施し、デイ開催・ナイター開催においては8車立て、浜松アーリーレース、川口ナイトレース、飯塚・山陽ミッドナイトオートレース においては、7車立てで行う。なお、オーバーミッドナイトレースはその限りではない。
デイレースとナイターが同日に行われる場合は、デイレース11Rの発走時刻は16:15、ナイター1Rの発走時刻は16:25と10分の間隔(しかなく、デイレース11Rでフライング等の事故があると重なる可能性はあるが...)。そして、ナイター11Rの発走時刻は20:50となる。ナイターは開始時間が遅くなり、ナイトレース・ミッドナイト(アーリーレース含む)はレース数が増えるぶん、1R~11Rのレース間隔は15分~20分とかなり凝縮されてしまい、車券戦術に要する時間も短くなってしまう反面、レース間隔が空きすぎてダレることはなくなる。
デイレースとナイトレースが競合する場合はデイレース11Rの発走時刻は16:35、ナイトレース1Rの発走時刻は17:35と1時間の空白。ナイトレース11Rの発走時刻は21:50。
アーリーレースについては試行期間中はナイター記念と開催が重なる(6月11日~GII稲妻賞・7月9日~GII小林啓二杯)。1R発走は9:30、最終11Rは13:45。ナイター記念1Rの試走開始は14:05を予定。これにオーバーミッドナイト(8R制)が絡んでくるので(1R発走時刻は21:22~最終8R発走時刻は24:30)
具体的にタイムテーブルを挙げてみよう。
6月13日、浜松アーリーレース2日目で一日が始まる。1R発走は9:30、最終11Rは13:45。そのあと伊勢崎ナイター「稲妻賞」3日目の1R試走開始は14:05。
(現時点では発走時刻の発表なし)最終12Rが終わって山陽オーバーミッドの1R発走が21:22~最終8R発走時刻は24:30となる。
おそらく、このパターンが最も長いオートレースデイになるだろう。
アーリーレースがなく、デイレースで始まるパターンとしては6月22日に川口デイレースの初日。1R発走は10:56、最終11Rは16:15。このあと飯塚ナイターの2日目にリレー。1R発走は16:25で最終11Rは20:50。そして、山陽オーバーミッドナイト3日目にリレー。1R発走は21:22~最終8R発走は24:30。
どうですか?朝から深夜までオートレースがスムーズに楽しめますね!
公営競技ではレース場や選手数で不利なオートレースだが、ファンの皆様と業界が一体となって盛り上げていきましょう!
(文/中村)
4月の出来事
2025年05月16日
新年度になってから最初の節で優勝したのは金子大輔。その時点で優勝は通算54回目。今年に入ってから金子は4月終了時点で全47走し、着外はたったの3回。その内、2回は優勝戦でのモノなので、予選や準決ではほぼ車券に貢献している。その中にはもちろんG1やSGなども含まれているので、走るシリーズのグレードを問わず安定した成績を残し続けている。元々、定評があった捌きの鋭さに加え、近況はスタート力の向上がそれを後押ししていると考えられる。
4月中に初優勝を挙げた選手が2人いた。まずは23日の山陽オーバーミッドナイトで優勝した浜野翼。同期36期の中では7番目の優勝経験者となった。浜野翼は2024年2月から11月まで、ケガのため長期離脱を余儀なくされた影響もあって同期の中では初優勝まで時間がかかったが、それでもデビューしてから2年とかからず優勝を決めたのだから大したもの。初優勝の時は良走路だったが、今のところは重走路の方が好成績を残せている。もちろん良走路でもそれなりのスピードがある。まだまだ成長の余地を大きく残しており、目下の課題はスタートとなるか。同ハンに数車並んだ時に後手を踏んでしまうケースがあるので、そこをまずは枠ナリに出ていけるようにしたいところだ。
もう一人は28日の山陽オーバーミッドナイトで優勝した本田仁恵。本田はデビューしてから相当苦しんだ。なかなか快走を見せることができず、初勝利を挙げたのは実に45走目だった。そこからはポツポツと白星を挙げることができるようになったが、それでも大敗か1着かという安定感には欠ける成績が続いていた。しかし、1級車に乗り換わるといきなり3連勝を決めた。そこからは実力アップとともに成績もだいぶ上向いていった。初優出は惜しくも2着で準優勝。そこから7度目の優出で、ようやく初の栄冠を勝ち取った。現在では、重走路で高い連対率を誇っているし、良走路でも追い込みが少しずつ上達している。この流れで総合力も増していくだろう。
4月には記念レースが2つあった。今年度最初のG1は山陽の令和グランドチャンピオンカップだったが、ここでは鈴木圭一郎が優勝を決めた。鈴木圭は今年に入ってからも高い1着率を誇っていたが、意外にも3月までは優勝がなかった。今年の初優勝がいきなりG1となった形。
もう一つの記念レースは、川口で行われたSGオールスターオートレース。ここでは地元の佐藤励がSG初優勝を決めた。それも6日間のシリーズでオール1着の完全優勝だった。優勝戦は苦しい展開だったが、最後まで諦めない姿勢が最終的に名誉をつかみ取るきっかけになった。オート界2強と言われている中で、明らかに若手の存在が目立ってきている。これからどのような戦力分布になっていくのか、それを見届けるのがオートレースの一つの楽しみになってきた。
文/高橋