岩手競馬リーディングジョッキー・トップ12名が争うオッズパーク杯ゴールデンジョッキーズシリーズに注目を!

2024年11月28日

12月2日(月)はオッズパーク杯「ゴールデンジョッキーズシリーズ(2戦)」。第1戦はB2級・水沢1400m、第2戦はB1級・水沢1600m。以上2戦の総合ポイントで優勝が争われる。優勝騎手にはボーナス50万円、総合2位騎手は30万円、総合3位騎手に20万円が支給される上、レース賞金の進上金、さらにオッズ・パークからも副賞が授与でき、トリプルの喜び。



ゴールデンジョッキーズシリーズの出場資格は11月26日(火)終了時の岩手競馬リーディング上位12名。かつてゴールデンステッキ賞(上位8~10名)、シルバーステッキ賞(若手プラスリーディング下位)のジョッキー戦2レースがあったが、ゴールデンジョッキーズシリーズに集約された。


現在、「ゴールデンジョッキーズシリーズ」は同日2レースの総合ポイントで争われたが、以前は3週3戦にわたるシリーズだった。その間、ジョッキーは騎乗馬の決定が気が気ではなかった。騎乗馬によって一喜一憂し、一戦ごとのポイントもチェックしていた。


ゴールデンジョッキーズシリーズの写真

なかなか理解しづらいと思うが、ボーナスで支給される50万円は進上金に例えると、1着賞金1000万円レースに該当する。ダートグレード競走を除く岩手競馬の最高賞金は1着賞金1000万円。古馬ではシアンモア記念、一條記念みちのく大賞典、桐花賞、OROカップ。3歳では東北優駿、ダイヤモンドカップ。2歳ではネクストスター盛岡の7レース。


以上のレース有力馬はほぼ騎乗騎手が決まっているが、ゴールデンジョッキーズシリーズはお手馬が完全抽選で決まるため、すべての出場ジョッキーに優勝のチャンスがある。それだけに騎乗馬が気になるところだし、1レースごとのポイント争いもし烈。


通常レースでも全力投球するのが騎手の常だが、表現が適切ではないかもしれないが、彼らは賞金ハンター。日々、勝利=賞金を争っている。しかもボーナスが1着賞金1000万円に匹敵するとなれば、がぜん気合いが入る。主導権を握るのは誰か。ペースは速いか遅いか。勝負どころ(水沢は3コーナー=残り3ハロン)の位置取りはどうか。直線でどこに進路を取るか。見どころが満載だ。


過去、会心の総合優勝コメントは山本政聡騎手。「前からダイソンの掃除機が欲しかったが、なかなか決心がつかなかった。ですが今回のボーナスで購入します」
だった。さて今年はどんなコメントが飛び出すか。シリーズ2戦の内容、結果はもちろんのこと、優勝コメントも楽しみにしてほしい。




ゴールデンジョッキーズシリーズで思い出すのは2016年。陶文峰騎手は第2戦まで7ポイントで最下位だったが、第3戦(最終戦)1着で20ポイントを獲得。山本聡哉騎手、南郷家全騎手も同じく合計27ポイントだったが、最終戦の上位着順が優先される―の規定があり、陶文峰騎手が奇跡の大逆転で総合優勝を果たした。


その陶文峰騎手は先週11月26日(火)で騎手生活にピリオドを打った。調教師試験に合格し、早ければ来年3月には所属馬を送り出す。ご存じの方もいると思うが、陶騎手は中国黒竜江省の出身。10歳で日本へ移住して水沢農業・乗馬部に所属後、騎手免許を取得した。


海外も2006年、マカオ・タイパ競馬場を皮切りに、2017年には内モンゴル自治区ウランホト競馬場、2018年は中国雲南省・昆明市の競馬場で騎乗。また北京オリンピックの前年2007年には北京・通順競馬場を訪問。後日、いきなり閉鎖されてしまったが、訪問時に主催者からスタンド完成図を見せられ、いよいよ北京競馬が本格的にスタートするな、と当時は実感したものだった。


文峰騎手の騎乗最終3日間の活躍は強烈だった。北上川大賞典をサクラトップキッドで優勝。また最終26日のメイン12Rでゼットセントラルに騎乗して1着。最高の形で騎手生活にピリオドを打った。マカオ帯同記、北京=通順競馬場、珍道中はいつかチャンスがあれば書きたいと思っている。



初冬特別/陶文峰騎手ラストラン!ゼットセントラルで有終の美を/テシオブログ



文/松尾康司(テシオ)

 

佐賀で初のJBCは九州競馬魂あふれる一日

2024年11月08日

ついにJBCが九州に上陸しました。
アメリカのブリーダーズカップを模範に、2001年に第1回が行われて以降、全国各地の競馬場で持ち回り開催されてきたJBC。馬産地として栄え、かつては中津競馬(大分県)、荒尾競馬(熊本県)のあった九州で、唯一生き残った佐賀競馬での初開催は大きな意義のあるものでした。







初開催とあって注目度は高く、駐車場の開場前には競馬場前の国道は渋滞。開門待ちの列を撮影するために向かっていたカメラマンの中には運転手だけを残して車を降り、競馬場まで2km弱、歩いた人もいたほどです。


JBC開催が決まってから、競馬場を挙げて騎手も調教師も職員も、みんなで盛り上げてきました。ピカピカの建物や最新設備が整う競馬場も魅力的だけど、佐賀らしさはそれじゃない、と行き着いたのが「うまてなし」と題した温かいおもてなしだったのではないでしょうか。


いざ開門し、場内に足を踏み入れると、あちらこちらに「うまてなし」が感じられる工夫がありました。たとえば、コンパクトなスタンドだけでなく、普段は入れない内馬場を開放してゆったり過ごせるスペースを作ったのもそう。



内馬場へと繋がる地下通路



内馬場の特設ステージでは予想会や、最終レース終了後にはUMATENAのライブも



飲食店は混雑緩和のため人気メニューに限定した営業で多くのお客様を迎えました。それでも、14時半には「龍ラーメン」は売り切れるほど、多くの方が訪れていました。





それもそのはず、内馬場から見たスタンドはこの人だかり。





山口勲騎手はJBC前に「荒尾競馬最後の日、スタンドが人の頭で真っ黒に埋まっていてね。JBCもそのくらいたくさんの人が来てくれたらいいね」と話していましたが、まさにその通りに。


「荒尾最終日とは違って、活気があるね」と、目尻を下げ、この日5勝の大活躍を見せました。


そのうちの1勝がこの日の1レースだったのですが、そのレースは静内農業高等学校の生徒たちが生産し、サマーセールで落札されたマギーズミッションのデビュー戦でもありました。2番手から運んだ同馬は、直線で離されて4着でしたが、「JBC当日のデビューに急遽間に合わせたから、まだまだこれからの馬やね」と真島元徳調教師。


佐賀競馬の招待で来場していた生徒2名は「初めて佐賀競馬場に来ました。安全に走りきってくれたことがまずは嬉しいです」と、目の前で見届けられたことに興奮した様子。また、パドックで曳いていたのは同校出身の厩務員、さらに調教師補佐も同校出身者と、静内農業高等学校リレーでたどり着いたデビューでした。





生徒たちと引率の先生が目の前でデビューを見届けられるよう招待したのも、また佐賀競馬ならではの「うまてなし」だったように思います。


もう一つ、馬産地・九州への「うまてなし」は2024九州産グランプリをJBCに合わせて特別に実施したことでしょう。勝ったのはルピナステソーロ(高知)。距離延長を克服し、霧島賞に続くタイトルとなりました。





そしていよいよJBC。
開幕戦となったJBCレディスクラシックは3歳牝馬アンモシエラが見事な逃げ切り勝ちを収めました。





勝った人馬が引き揚げてくると、スタンドからは武史コール。何度も拳を突き上げ、横山武史騎手は喜びを爆発させました。





JBCスプリントは3歳馬チカッパとの追い比べをハナ差制し、タガノビューティー(石橋脩騎手)が悲願の重賞初制覇をJpnIの舞台で果たしました。





追い込みタイプの同馬はこれまで展開の影響を受けたり、コース形態と上手くマッチしなかったりと歯がゆいレースが続いていましたが、大金星に担当の桜井吉章調教助手は涙、涙。かつての担当馬で、神戸新聞杯を勝つなど「僕の原点で、いろんなことを教えてもらった」というイコピコの写真と遺髪をポケットに忍ばせてのレースだったそうです。





そしてJBCクラシックも涙、涙でした。
勝ったのはウィルソンテソーロ。何度もGI/JpnIまであと一歩まで届きながら悔しい思いをしていた同馬が、GI/JpnI初制覇を果たしました。





鞍上の川田将雅騎手は祖父も、父・孝好調教師も佐賀の調教師。


「地元でGI/JpnIを勝つというのは、こんなに感極まるんだなと本当に嬉しく思っています」


と、勝利騎手インタビューでは何度も涙を溢れさせ、声を詰まらせました。


「ここで生まれ育ちましたので、ゲート裏を回っている時に、あそこで僕はちびっこ相撲の練習とかをしていましたから、そんなところでJBCを開催してくれるようになり、これだけ素晴らしい馬と巡り合えて佐賀に来ることができました」





佐賀出身としてJBCを勝たなければ、という使命感にも似た強い思いを抱いていたのでは、とさえ思います。JRA騎手ですが、佐賀競馬魂が宿っているのでしょう。


JBC後の最終レースとして行われたネクストスター佐賀は"九州競馬魂"を感じました。
勝ったのはデビューから無敗のミトノドリーム。





石川慎将騎手はお父様が中津競馬の騎手で、自身も少年時代を中津で過ごしました。また、管理する平山宏秀調教師は荒尾競馬で厩務員をしていた方。廃止になった競馬場の魂を継ぐ二人が、JBCデーを締めくくりました。





入場人員1万2386名、1日の売り上げ55億9140万3800円。売り上げはもちろんレコード。記録にも記憶にも残る、魂あふれる一日でした。



文/大恵陽子

 

ジョッキーがダートコースを疾走!オッズパーク杯ゴールドトロフィーリレーマラソン@園田、開催

2024年11月06日

10月20日、園田競馬場で恒例の「そのだけいばダートランニング2024」が行われました。





例年、多くのランナーが集まるイベント。実際にレースで使っているコースを走れるとあって競馬ファンには嬉しいイベントに加え、競馬に馴染みのない方にとっても珍しいコースのようで、多くの市民ランナーが参加します。


それはもう、出で立ちから「違うな」というオーラがムンムンな方々も多数。それでも第2レースのチャンピオンシップ5555mランで上位入賞した猛者たちは「めちゃくちゃしんどいです!」と話しました。





フルマラソン経験者でも第一声がそうなってしまうくらいのコースは、公式Tシャツに書かれた「砂地獄」そのもの。
前日からの雨の影響で、水分を少し含んだ稍重のダートは、本来なら砂が締まって走りやすいはずなのですが、それは「ダートの中では」の話。芝生やコンクリートに比べると、足を取られるのは必然です。
加えて、園田では2020年4月にオーストラリア産の砂に入れ替えて、レースでも従来より時計がかかるようになりました。実際に歩いた感触でも、蹴り上げた力が伝わりづらく、スピードが逃げていくイメージ。そんな砂地獄を存分に味わっていただいたことになりますが、みなさん最後には笑顔で「楽しかったぁ!」と口を揃えてくださったのは、普段足を踏み入れることができない貴重な場所だからなのでしょう。


また、本物の実況アナウンサーの実況付き、というのもこの大会の魅力。この日は園田・姫路の実況を担当する木村寿伸アナウンサーが「おーっと、斜行した」「前5頭が...あ、5人だ(笑)。4コーナーにさしかかります」といった競馬を彷彿とさせる実況で楽しませてくれました。


さて、そうこうしていると、見慣れた勝負服姿のチームが現れました。


園田・姫路のジョッキーチームです。
毎年参加していて、今年もオッズパーク杯ゴールドトロフィーリレーマラソンに出走。過去には2位入賞の経験もあるようで、速いのは馬に乗っている時だけではないようです。


ベテランメンバーの鴨宮祥行騎手は「今年こそ優勝目指してがんばります!」と宣言。
さらに、石堂響騎手の選手宣誓でオッズパーク杯ゴールドトロフィーリレーマラソンは幕を開けました。





第1走者を務めたのは、騎手デビューを目指して厩舎実習中の小谷哲平候補生。





外枠から好スタートを切ると、私の手元集計では14番手で第2走者の米玉利燕三候補生にタスキを繋ぎます。





1コーナーでタスキを受け取った米玉利候補生はすぐに進路を内へ。多少、砂が深くても距離ロスを抑える作戦に出て、すぐに2人、3人と抜かしていくと、タスキは第3走者の新庄海誠騎手へ渡ります。
厩務員時代には12連勝で重賞・摂津盃を制したヒダルマを担当していた23歳のルーキーは超快足。





快足すぎて、顔がわずかにボヤけています(撮影ミス。苦笑)。みるみるうちにゴボウ抜きして、第4走者の高橋愛叶騎手もいい走りを見せます。





第5走者の土方颯太騎手は最後までバテない走り。この走りは、個人的には高知の一発逆転ファイナルレースで買いたいタイプでした。





第6走者は大山龍太郎騎手。先月、イモータルスモーク(高知)で園田チャレンジカップを勝って重賞初制覇を果たしたばかりの彼もまた快足っぷりを見せます。
しかし、写真では笑顔なものの、「トレーニングで馬場を走るのと違って、ダートランはプレッシャーが...」とお腹を抑え気味。このあたり、先輩からの「目指せ優勝!」の言葉がのしかかっていたのかもしれませんね。





第7走者の山本屋太三騎手は「今日、マキバオーのお守りをもらったんですよ」と、早速それを身に着けてのラン。きっと最後の直線はマスタングスペシャルを繰り出せたはずです。





第8走者・石堂騎手はショートパンツにサングラスとバッチリの恰好で、外から入るタイプかと思いきや、見た目に違わぬいい走り。前日は長谷部駿弥騎手とともに佐賀競馬場でナイター競馬に騎乗し、当日輸送で園田に来たとは思えぬ走りっぷりでした。





さらに驚いたのは第9走者の長谷部騎手。メンバー中で最も丹念に準備運動を行い、フォームがめちゃくちゃかっこイイ!一緒に見ていた人と思わず「かっこイイ~!」と黄色い声を上げてしまいました。





第10走者の鴨宮祥行騎手は「年々、キツい(苦笑)」と言いつつも、やりきった表情。「僕と小谷さんは1周だけなんです」と、開放感に包まれて去っていきました。(なぜか写真は物憂げだけど)





ここでリレーマラソンのルールなのですが、1チーム20周。チームの人数によっては何名かが2周走らねばならず、若手たちは同じ順番でもう1周を走る、というローテーションでした。

そこでちょっと胸アツなシーンも見られました。
それは第11走者の小谷周平騎手からタスキを渡されたのが長男・哲平候補生だったということ。12走者からは2周目に入るのですが、偶然か必然か、親子でタスキを繋ぐことになったのです。



走り終えてしんどそうな父・周平騎手と



笑顔で2周目のランを待つ長男・哲平候補生



子だくさんの大家族で知られる小谷家で上から2番目にあたる長男・哲平候補生。実習先の新子雅司調教師はその走りを見に来るつもりが、思いのほか速くて間に合わなかった...という事件もありましたが、「走り込みは毎日しっかりするように伝えているからね」と、速い走りを誇らしく感じているようでした。


そうして1周目と同じ順で若手たちは2周目に入っていったのですが、その多くがちょっと曇った表情でリレーゾーンへ。それだけダートコースを走るのはタフでしんどかったのでしょうね。


そうした中、意気揚々と現れたのはカッコイイフォームの長谷部騎手。
胸元につけたゼッケンには永井孝典騎手と書かれているのですが、どうしても外せない用事があり、同期の長谷部騎手が代打出走となったのでした。


「ゴールの時、余裕があったら永井のゼッケンをアピールします。同期と一緒にゴールするつもりで」


そう言い残してコースに駆け出してていくと、最後の直線、永井騎手のゼッケンを両手で持って笑顔でゴール。5位でのフィニッシュで、先輩・後輩たちからは笑顔で労いの言葉をかけられました。





オッズパーク杯ゴールドトロフィーリレーマラソンの優勝チームは「GRlab園田(まだ仮)」。今年で3連覇という偉業です。

さらに、3位の「GAIA競馬部 関西支部」にはスーパースプリント300mラン優勝者もいたようで、上位チームは格が違う走りでした。


その走りにはオッズパークのイメージキャラクター・マキバオーもビックリしたことでしょう。表彰式ではマキバオー、そのだ・ひめじ競馬のそのたん、ひめたんも記念撮影に収まりました。





ジョッキーたちも上位チームにはお手上げといった様子でしたが、普段は自分が走ることは少ない彼ら。そんな中、アスリートとしての意地を見せた一日でした。





文/大恵陽子

 

データで占う佐賀のJBC

2024年10月31日

 24回目にして初めて佐賀競馬場が舞台となるJBCが間近に迫った。
 "ダートの祭典"ともいわれるJBCは、これまでも当日の競馬場ではさまざまにお祭り的に盛り上げてきたが、佐賀競馬では2022年の競馬場移転開設50周年を機にJBCを誘致し、1年以上をかけてJBCを盛り上げてきた。これほど長期に渡ってお祭り感を演出した競馬場はこれまでになかったのではないか。
 佐賀競馬で独自に育てたアイドルグループUMATENAは、たしかに現地に行くとかなり盛り上がっているし、9月23日に行われた『さがけいばMusicFestival』では、多数の厩舎関係者も出演して盛り上ったようだ。その模様はダイジェストでYouTubeで公開されている。
 
 JBCは全国の地方競馬(2018年のみJRA京都)で持ち回りとなっているだけに、さまざまなコース形態で行われるが、おおむね1周1200メートル以下の小回りコースと、1400メートル以上のゆったりしたコースに分けられる。当然のことながら、そのコース形態によって求められる適性も異なる。
 右回り、左回りという違いも馬によっては得手・不得手があり、たとえば2021年の金沢。JBCレディスクラシックに出走した大井のサルサディオーネ(10着)は、実績がほぼ左回りに限られ、川崎や船橋が舞台であればJpnIも勝っていたかもしれない。またハクサンアマゾネス(11着)は地元の1500メートルはあまり得意とはせず、出走を避けられてきたコース設定だった。
 
 佐賀競馬場は1周1100メートル。これまで23回のJBCで、1200メートル以下の小回りコースが舞台となったのは、川崎が最多の3回、名古屋・金沢が各2回、園田・浦和が各1回で、計9回。その小回りコースで行われたJBCの勝ち馬から傾向を探ってみたい。
 
 JBCクラシックは2015年の第15回まで、3連覇が2頭、2連覇が3頭と、勝ち馬が8頭しか存在しなかった。今ほど中央のダートの層が厚くはなく、適性以上に強い馬が圧倒的に強かった。タイムパラドックス(05、06年)は名古屋・川崎で勝ち、ヴァーミリアン(07〜09年)は大井・園田・名古屋で勝った。
 連覇が出なくなった近年の小回りコースでの勝ち馬を見ると、アウォーディー(16年川崎)、チュウワウィザード(19年浦和)は、ともにJpnI初勝利で、名古屋でのダートグレード勝ちがあったというのが共通項。
 地方馬として初めてJBCクラシックを制したミューチャリー(21年金沢)は、本番を見据えて同じ金沢2100メートルの白山大賞典2着から臨んだ。鞍上が地元金沢の吉原寛人騎手というのも大きかっただろう。
 今年、コース適性・経験ということでいえば、右回りに実績が集中し、本番と同じコース設定の佐賀記念で59キロを背負って勝ったノットゥルノが有力となりそう。名古屋グランプリを勝っているという点でも、アウォーディー、チュウワウィザードと共通する。
 
 コースの違いがもっとも大きいのはスプリントだろう。大井・盛岡のワンターン1200メートルと、コーナーを4回まわる1400メートルの小回りコースでは、求められる適性がかなり異なる。もっとも両方ともこなしてしまう馬もいるが。
 昨年大井1200メートルの覇者イグナイターは、それまで1200メートルの実績がほとんどなく、22年盛岡のJBCスプリント5着が唯一の経験。それでも勝ってしまったのは能力の高さに加え、展開に恵まれた面もあった。イグナイターは、佐賀は初めてだが、もっとも得意とするコーナー4つの1400メートルが舞台。連覇への期待は大きい。
 09年名古屋のスーニ、12年川崎のタイセイレジェンド、16年川崎のダノンレジェンド、19年浦和のブルドッグボスらは、いずれも前走大井1200メートルの東京盃で2〜5着に負けて臨んだ小回り1400メートルのJBCスプリントを制した。そういう意味では、今年東京盃で6着だったイグナイターは、その敗戦はあまり気にする必要はないのかもしれない。
 
 2011年に第1回が行われたJBCレディスクラシックは昨年まで13回。そのうち小回りコースは、川崎・金沢で各2回、浦和で1回の計5回。レディスクラシックの基本距離は大井・盛岡の1800メートルだが、小回りコースでは浦和1400、金沢1500、川崎1600と、わりと短いコースで行われてきた。しかし今年は佐賀に新設された1860メートルと、JBCレディスクラシックとしては最長距離で争われる。
 19年浦和を勝ったヤマニンアンプリメはもともとダート短距離を使われてきており、同じ浦和1400メートルのオーバルスプリントで牡馬相手に3着と好走しての参戦だが、これは例外的。
 12年川崎のミラクルレジェンド、13年金沢のメーデイア、16年川崎のホワイトフーガ、21年金沢のテオレーマは、いずれも大井1800メートルのレディスプレリュードで1着または2着からの参戦だった。牝馬路線は選択肢が限られるだけに、そこに有力馬が集中しているということなのかもしれない。今年はレディスプレリュードと距離がほとんど変わらないだけに、レディスプレリュード1、2着だったグランブリッジ、アイコンテーラーを素直に狙うべきだろうか。
 特にグランブリッジは、川崎コースでは5戦して2勝、2着2回、名古屋グランプリでも牡馬相手に2着など、小回りコースの実績も十分。おそらく1番人気なるだろうが、その人気には逆らわないほうがいいかもしれない。
 ただダート路線の体系整備によって、今年から船橋・マリーンカップが3歳馬による前哨戦として行われるなど牝馬路線にも変更があっただけに、今後傾向は変わっていく可能背はある。
 
文/斎藤修

 

【私的名馬録】交流初期の佐賀を代表する キングオブザロード

2024年10月28日

6馬身差の圧勝だった97年サラブレッドグランプリ



日本競馬界の歴史に名を刻んだ名馬・競馬ファンの記憶に残る名馬の活躍を競馬ライターたちが振り返る私的名馬録。


今回のテーマは─


佐賀記念JpnIIIは1995年の地方中央交流化後はJRA24勝、地方4勝とJRA所属馬が地方を圧倒。


その地方4勝のうち、交流化2年目の96年(この年まで『開設記念』の名称で施行)はリンデンニシキが1着、その3着にはキングオブザロードと、当時の佐賀のサラブレッド2強として鎬を削っていた両馬がJRAと互角の戦いを見せ、地元ファンを大いに沸かせたものでした。


両馬がデビューしたのは94年で、翌95年はいわゆる"交流元年"。


佐賀競馬でも開設記念が交流化されましたが(初回勝ち馬はアドマイヤボサツ)、3歳時(現表記)の交流戦出走は、それ以前から地方馬に開放されていた小倉日経オープンにキングオブザロードが挑戦(9着)したのみでした。


この年の佐賀3歳二冠(栄城賞、佐賀菊花賞)はキングオブザロードとリンデンニシキが1、2着を分け合い、4歳になってリンデンニシキが名古屋大賞典(9着)、キングオブザロードがプロキオンステークスGIII(13着)とそれぞれ交流重賞に挑戦。


遠征では結果を残せませんでしたが、地元では1着、3着と上々の結果を残し、佐賀の馬も交流で十分戦えるとの期待を抱いたものでした。


キングオブザロードとリンデンニシキの直接対決は7度あり、栄城賞まではキングオブザロードが3度先着したあと、佐賀菊花賞、開設記念ではリンデンニシキが先着。


さらに96年のサラブレッドグランプリでは序盤から両馬のマッチレースとなり、激しい競り合いがたたってキングオブザロードは早めに後退し"両雄並び立たず"の7着敗退となったのが印象的でした。


97年の佐賀記念GIII(この年に改称されGIII格付)ではキングオブザロードがグリーンサンダーの4着を確保し、リンデンニシキは同8着。


これが最後の対戦となり、キングオブザロードが1つ勝ち越してはいるものの、どちらが強かったか?と問われると、やはり甲乙つけがたく答えは出ないところです。


当時の九州の地方競馬は佐賀、荒尾、中津の3場が存在し、いずれも週末主体の開催で日程が競合していましたが、地方競馬の売上低迷期に入り九州3場の連携を模索。


3場の日程を調整し、重賞の九州交流化で年間のレース体系を整備する『九州競馬』の枠組みが00年6月よりスタートし、8月に荒尾競馬場で行われた九州王冠には8歳になったキングオブザロードが出走。


5歳12月の佐賀場外オープン記念天山賞以降は重賞勝ちがありませんでしたが、直前にA級特別を勝利するなど、まだまだ存在感は健在。


2番人気に推されて逃げを打ちましたが、アイディアルクインの4着に敗退。


レース後には骨折が判明。『九州競馬』でも活躍を見たかったという想いはありましたが、このレースを最後に引退となりました。


キングオブザロードの重賞6勝はすべて佐賀限定戦でしたが、佐賀記念(開設記念)は96年から4年連続出走と、95年の交流元年から00年の『九州競馬』までの佐賀競馬を第一線で引っ張ってきた存在でした。



文/上妻輝行
OddsParkClub vol.69より転載

 

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