【私的名馬録】GIでも互角に戦ったゴールドプルーフ
2025年01月08日
全日本サラブレッドカップでダートグレード初制覇
日本競馬界の歴史に名を刻んだ名馬・競馬ファンの記憶に残る名馬の活躍を競馬ライターたちが振り返る私的名馬録。
今回のテーマは─
1999年1月31日は地方競馬の関係者、ファンにとって忘れられない日だ。岩手のメイセイオペラがフェブラリーステークスを勝って、地方馬として初の中央GIを制覇した日である。
さらに3日後の2月3日にも川崎記念GIで、船橋のアブクマポーロが中央馬を抑え、地方馬によるGI連勝を達成した。
地方ファンの私にも溜飲が下がったが、その川崎記念で、2頭に続く地方の期待馬が出現したことも深く脳裏に刻まれている。
川崎記念3着だった名古屋・今津勝之厩舎のゴールドプルーフの走りは衝撃的だった。
東海地区で重賞を総なめにしたゴールドレツトが父という血統も琴線に触れるが、当時4歳(現表記)のゴールドプルーフは直前に地元重賞の新春グランプリを制して4連勝中。
勢いに乗っていたが、ダートグレード初出走がいきなりのGI。
相手はアブクマポーロだけでなく、中央馬には前年のドバイワールドカップに挑戦したキョウトシチー、"女オグリ"と呼ばれたマツクスフリートの半弟ナリタホマレもいた。
ゴールドプルーフを担当する田畑伸一郎厩務員も「相手は強いし、いい経験になれば」くらいの思いだった。
ところがレースでは好発を決めると、好位の内で脚をため、4コーナーでは先頭に立って、勝ちに行く競馬。
これがダートグレード初挑戦かという堂々たるレースぶり。
結果こそアブクマポーロ、キョウトシチーに差されたが、新たな地方のスターが、そして自分の中で名馬が誕生した瞬間だった。
しかしその後は、名古屋大賞典GIIIで2年連続オースミジェットの2着や、オグリキャップ記念GIIでは川崎記念GIで先着したナリタホマレに雪辱を許しての3着など、中央馬とも互角の勝負を繰り広げるが、勝ちきれないレースが続いた。
田畑厩務員は「距離の長い短いは問わないし、気性も大人しかった」と話すように、折り合いなど乗り手には従順だが、大人しい気性が、ここ一番の踏ん張りに響いたかもしれない。
ダートグレード初勝利は01年笠松の全日本サラブレッドカップGIII。
ダートグレードに挑戦すること18戦目だった。
4コーナー先頭からマンボツイスト、ブロードアピールの猛追を封じた。
待ちに待った勝利にスタンドのファンは熱い声援で迎えた。
「球節が弱く、常にケアしてました。
すくみもあったので、全休日でも先生が引き運動しました。僕も当時はまだ20代。
今なら、もっと早くに勝たせてあげられたかなと思ったりもします」と田畑厩務員は振り返る。
02年には3度目の挑戦となる川崎記念で勝利寸前のところを内リージェントブラフ、外ハギノハイグレイドに差され、タイム差なしの3着で、またもや惜敗。
しかし翌03年、中央に挑戦した東海ステークスGIIではアタマ差での2位入線も、1位入線ディーエスサンダーが進路妨害による3着降着で繰り上がり1着の幸運もあった。
頂点(GI)にこそ、あと一歩届かなかったが、見せ場たっぷりのその走りは、打倒中央を願う地方ファンの思いをしっかりつかんでいた。
文/松浦 渉
OddsParkClub vol.68より転載