消音マフラーって何?

2025年02月28日

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 現在ナイター、ナイトレース、ミッドナイト、アーリーレースなどに使用されている消音マフラー。(実際には減音マフラーですが...)
 今回は、今やオートレース業界になくてはならない、消音マフラーについてのお話です。


 当初、消音マフラーは、市街地にある川口オートでナイター開催をするために開発・使用されました。


 実際に初めて川口オートでナイターレースが開催された日は、2015年9月5日。それまで伊勢崎オートでしか見られなかったナイターレースを川口でも見られる高揚感があったと同時に、「思った以上に音がない...」と物足りなさを感じたものでした。(当時の説明では、現行マフラーよりも約70%、最大で90%の音量削減効果が得られた。と書かれている)


 その後、2015年11月16日に飯塚オートで、オートレース界初のミッドナイト開催が行われます。最終レースの発走時間が23時30分前後という深夜の時間帯に衝撃を受けました。
 

 後にこのミッドナイト開催ができるようになった事によって、オートレース業界は飛躍的に売り上げがアップした事は喜ばしい事でした。

 そして更に、2019年2月17日に山陽オートでも、ミッドナイト開催が始まりました。山陽ミッドナイトでは、車立てとレース数が試行錯誤され、6車立て9R制という形が定番となりました。
 同じミッドナイトで競輪が開催されていない日に、1日で4億円を超える売り上げ(オートレース界ではSGの優勝戦の日の売り上げに匹敵する)を記録するなど、消音マフラーを開発・使用した事による経済効果は大変なものがあります。


 一方で選手にとって、消音マフラーをつける事による感想は多々ありました。


【選手A】「自分はドドド持ちなんだけど、消音マフラーをつけると、ドドドが軽減されやすいからその点はいい」

【選手B】「消音マフラーはエンジンの音を聞いて調整することが難しい。グリップを開けてもこもった音になってしまうので、実際のレースでの動きを参考にするしかなく、調整が難しい。もしくは調整が分からない」

【選手C】「通常マフラーに比べると先まで伸び切ってくれない感じ。伸び止まってしまう感じがあるから、消音マフラー用のコース取りをしないとダメかも」

【選手D】「今、消音マフラーは1節ごとに抽選で、どのマフラーに当たるか分からないんだけど、マフラーごとにクセが違うので、セットを合わせ切れない間に1節が終わってしまう事もある。消音マフラーも自分持ちで調整したい」


などの感想を聞きました。ただ、選手は常に研究していて、消音マフラー導入から10年近くたった現在は、かなり整備が確立されてきたようです。


 ちなみに【選手A】の話では、当初消音マフラー導入時には、ドドドがひどい、コーナーが曲がりづらいなどの症状を訴える選手が多かったのですが、消音マフラーの取り付け部が改良された後は、ドドドがきにくくなったという声が格段に増えました。


 消音マフラーを歓迎する選手の一人として、浜松の鈴木宏和選手のコメントが、興味深く参考になります。


 全国屈指のスタート巧者として名高い鈴木宏和選手は「自分は地元の浜松走路(通常マフラーを使用)ではドドドが来やすくて、思い切り乗れない事も多い。ただ、通常マフラーの方がスタートは切れます。消音マフラーだとドドドが来にくくて、思い切り乗れるけど、スタートの切れは通常マフラーほどではなくなる」と、一長一短な面はあるものの、ドドドが出にくいという点が大きく、消音マフラー装着のレースを歓迎している様子でした。


 オートレース業界に多大な影響を与えた「消音マフラー」。これからの時代に即したアイテムで、更に導入が進むのかもしれません。しかし、私はオートレースと言えば「爆音」で育った人間だけに、川口オートで再び爆音を聞きたいと密かに願ってやまないのです。
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(文/金子)

 

快挙ニュース

2025年02月21日

 今年もこの男を中心にオートーレース界は回っていくのか
 
 2025年に入って早々、オートレース界ナンバー1の男がまたまた快挙を達成した。
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 今年初の記念レースとなる伊勢崎G1開場記念シルクカップで青山周平が優勝。青山周は昨年まで同大会を4回連続で優勝していたが、その優勝で5連覇となった。これは同一G1の連覇記録を更新。これまでは4連覇までが最高記録だった。2007年から2010年までの間で、飯塚の浦田信輔が浜松のG1開場記念ゴールデンレースで4連覇。2012年から2015年の間で、川口の中村雅人が浜松のG1開場記念ゴールデンレースで4連覇を決めていた。奇しくも同じタイトルで浦田信輔と中村雅人が記録を持っていた。これだけでも十分凄まじい記録なのに、青山周は更に一つ数字を上回る5連覇。
 
 更にこのG1優勝で、G1通算勝利記録も更新してしまった。これまでは飯塚将光(引退選手)が保持していた28VというのがG1優勝最多記録だったが、青山周はG1での優勝が29回目となり、飯塚将光の記録を上回った。

 青山周のレース後のコメントは「(G1最多勝利記録と同一G1の5連覇について)プレッシャーはあったのですが、達成できて嬉しいです。自分がこういう記録を達成できると思っていなかったです。まだ今年は始まったばかりなので、気を引き締めて2025年も頑張っていきたいと思います。応援よろしくお願いします」。
 
 2024年の大みそ日、SGスーパースター王座決定戦で優勝とはならなかった分を、新年になってすぐに帳消しにするかのごとくG1完全優勝。見事なスタートダッシュを決めてみせた。
 
 青山周はその後の川口一般開催では初日から3連勝で優出。1月21日に行われた優勝戦は有吉辰也の速攻の前に屈し、準優勝止まりだったが、その後の3日間地元一般開催では完全優勝。その勢いのまま浜松のSG全日本選抜オートレースに乗り込み、6日間の開催をオール1着の完全優勝で締めたみせた。
 
 その優勝で青山はSGダブルグランドスラムを達成。これは、現行のSGタイトル5つを2度以上獲得するというモノ。これまでにダブルグランドスラム達成者は3人いた。まず最初は2001年のSG全日本選抜で達成した片平巧(引退選手)。当時、快進撃を続けていたカリスマレーサーである。次は2014年のスーパースター王座決定戦で決めた永井大介。その次は2017年のSGオートレースグランプリで高橋貢が達成している。高橋貢はその時点でSGを21回勝っていたが、意外にもダブルグランドスラムを決めたのは早くなかった。その理由として、他のSGはたくさん勝っていたが、オートレースグランプリだけは縁が遠かった。19回目のSG優勝が2012年のオートレースグランプリで、この時にグランドスラムを達成。その5年後に再びオートレースグランプリで優勝し、ダブルの偉業となった。
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 話は戻るが、今年に入りここまでの青山周は絶好調。全18走して1着が17本、負けたのも優勝戦の2着だけ(2月19日現在)。今年もオートレース界の最重要キーマンになるのは間違いない。
 
文/高橋

 

ミッドナイトに眠る富

2025年02月14日


 2月11日に青山周平のダブルグランドスラムという偉業で幕を閉じたSG第38回全日本選抜。その夜に山陽ミッドナイトでは早津圭介が自身初の優勝を成し遂げた。

 
 2015年11月に飯塚で試行されたミッドナイトレースは8車立ての6R制で開始。11/18に湿走路での優勝戦は優勝・滝下隼平、2着・荒尾聡、3着・岩崎亮一で3連単は4-8-7 3290円、2連単は4-8 830円。その後、2016年6月から本格導入され、6/16と6/28は7車立て7R。開始から3節連続で湿走路での優勝戦だった。28日にいたっては3連単(優勝・岩科鮮太)6-5-1 12万8900円 2連単も6-5で15890円と深夜に目玉が飛び出る配当に。この頃からすでに『荒れる飯塚ミッド』は始まってたのかもしれない。

 山陽ミッドナイトは2019年2月から。まだ、7車立ての7R制で2/19の最終日1Rは3連単13万2760円。これまた湿走路で人気集中した福永貴史が飛んでのもの。山陽ミッドナイト9節目に6車立て9R制となり売上も開始早々は6~8千万円で推移していたのが、コンスタンスに1億円を突破し始めた。ところが、他場のナイター開催中にミッドナイト6R制を行ったり、4日間を2日ずつに分け(初日から準決)優勝戦2つにするなど(ちなみに吉松憲治が2022年8月3日と5日に連続V達成)、とにかくいろんなアイデアを出し、試行錯誤を繰り返して現在に至る。

 6車立て9R制が山陽ミッドナイトのスタイルに定着してから、なんと先日2025年2/4にはミッド史上過去最高の総売上4億2千万を超えた(その翌日5日は降雪・積雪で中止)。対して飯塚ミッドは7車立ての8R制となっている。


 どちらのレース場も走路改修を経て高速走路に変身したが、試走タイム通りに決まりにくいのが7車立ての飯塚場。6車立ての山陽は堅い決着となる傾向が多い反面、人気車が飛ぶと高額配当となるのは当然の結果。たった1車、されど1車で展開は変わるが車立てが少なければ展開も読みやすくなる。

  『オーバーミッド』と銘打ち、深夜0時を過ぎるレースもできるようになったが、いかんせん時間が深すぎる印象は否めない。反対に浜松の『アーリーレース』は朝9時から始まる。近い将来、一日中オートが楽しめるように...これは飛躍しすぎか。


 かねてからデイレースやナイターで行われてきたオートレースは深夜の時間帯にシフトした『ミッドナイト』が加わったことでファン層も拡がり、全体の売上にも貢献できるまでに成長してる。川口では『ナイトレース』、伊勢崎は『アフター5ナイター』、そしてミッドナイトは運営側からすれば、いずれも『無観客』レースで経費が大幅に削減されるメリットがある。競輪、ボートレースに比べると、キャパ不足は否めないが『ミッドナイト』はオートレース業界にとっても、ファンにとってもWINWINになりえたと言えよう。

(文/中村)

 

デビュー節をオール連対でまとめた注目の38期新人

2025年02月07日

植村選手
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 デビュー節を2着、2着、1着で終えた植村愛悠斗選手に感想を聞いてみました。
 『どうですか?実際にデビューしてみて』「まだあまり実感が湧いてないです。まだレースっていうレースを自分の中でしてるって感覚がないので」
 
 『デビュー戦で緊張はありましたか?』「なかったです。逆に、やってやろうって気持ちが高ぶりすぎて、力が入ってしまってって感じでした。すみませんでした。自信あったんですけど...。次の伊勢崎でもしっかり勝って、レースらしいレースをしたいなって思います。今のところタイヤも大丈夫ですし、エンジンもやっていただいているので大丈夫だと思います。いい状態でレースに行けると思います」と、やる気が溢れんばかりの眼力で力強くコメント。
 『次の伊勢崎、頑張ってください』「ありがとうございましたぁ!」元気一杯の声で応えていただきました。養成所では最優秀賞を取れなかったことを本気で悔やんでいた植村選手。上を目指す気持ちは誰にも負けない様子。今後もその1走1走に注目していきたいです。
 

上原選手
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 デビューして2節目の初日は8着に沈んだ上原大輝選手。
 『感じが悪かったんですか?』「ダメでした。全然良くなくて、すみません」「試走から全然良くなくて、ずっと滑っちゃって、タイヤの選択ミスで...。アドバイスをいただいたので改善していきたいです」と。
 
 『デビュー戦は緊張しましたか』「しました。緊張しましたね。ホントに緊張して、師匠だったり、兄貴分だったり、牛沢さんだったりに背中を押してもらって、そんなに堅くなるなって。普通に走れれば取れるから、とにかく落ち着いて自分の走りだけすれば大丈夫だよって。そんなに堅くなることなく気持ち良く乗ってきなって言われたんですけど、デビュー1戦目は堅くなっちゃいましたね」
 『実際デビューしてみてどうですか?』「そうですね、前節はホントにレースもそうなんですけど、準備だったりだとかタイヤの当たりつけだったりだとか、全てのことにおいて自分の中では、なんていうんですかね、落ち着いてしっかり選択できる時間や余裕がなかったので、そこも経験を積んで、もうちょっと落ち着いて余裕を作ったうえで、腰回りだったりだとか方向性を間違えないように判断基準をしっかり見極めていかないと、この世界では勝てなくなってしまうので...。前節はホントに師匠とか派閥の方に助けていただきながら、その中でやっぱり自分にあまり余裕がなかった」
 『デビュー節の結果はまあまあ良かったかなと思いますが』「う~ん(微妙そうな表情で)、1、2、1、1...」「そうですね、ただ今回もちょっとミスしたし、いい流れにはなっていないですね。3節目から勝ち上がり権利があるので、そこでしっかり勝ち上がって行けるように、準備をしっかりして、しっかり勝負できるようにしていかなければいけないかなと」
 『最近は勝ち上がり権利発生の節でいきなり優勝ってのもありますからね』「そうですね、そこをまずは目指して、自分も頑張りたいなと思っています。しっかり準備して、練習して、良い悪いの判断基準をしっかりして、レースに向かいたい」
 『勝ち上がり権利発生節で優勝は狙いたいですか?』「狙いたいですね」
 気持ちが前面に表れるタイプではないが、自分の現況をしっかりと分析し、慎重に言葉を選んでコメントしていただきました。ロードレースでの経験の裏づけがあるからなのか、若手ながらクレバーさを感じさせる雰囲気を持っています。
 
 1ヶ月前はまだオートレーサー候補生だった2人ですが、将来のスター選手候補に挙げたくなる逸材です。

文/高橋


 

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