有吉辰也という男

2025年05月02日

 
 
 全オートレーサーの中でも有吉辰也ほど波乱万丈なオートレース人生を歩んできた選手はいないだろう。
 有吉辰也 2.JPG
 粒ぞろいと言われている25期の中で、選手養成所最優秀賞を引っさげてオート界にデビュー。『レベル』号を駆った初戦は3着だったが、2戦目で初白星。その後も上位着を多く取り、2級車時代は6回の優出があったが準優勝が最も良い結果だった。そこから1級車『ファンネル』号に乗り換わり、2戦目で1級車初白星を挙げた。そして1999年8月9日、前の節で準優勝だった有吉は、ここで嬉しい自身初優勝を決める。
 
 2000年4月8日からはその後、長らく相棒となる『タツダンス』号に乗り換わった。最初の頃は落車も少なくなかったが、それでも着実にスピードとさばきを身に付け、2001年11月27日には伊勢崎の開設記念シルクカップ争奪戦でG1初優勝を達成。G2は2003年に地元でジュニア選手権とトーマスメモリアルカップを制覇。そこからもG1やG2で何度も優勝し、ついに2008年4月29日、浜松で行われたオールスターでSG初戴冠。そこからは2010年にオートレースグランプリ、2012年に全日本選抜を制しSG3V。また、2007年の全日本選抜から2010年の日本選手権まで、SG競走で19回連続で優出するという抜群の安定感を誇ってもいた。まさに充実一途と思われていたが...。
 
 2013年に悪夢が待っていた。9月8日、飯塚オートで落車し大怪我を負い、長期離脱を余儀なくされてしまう。復帰したのは翌年の4月11日の飯塚オートでだった。心機一転『ピスケス』号に乗り換わって再起を図った。ちなみに、それまでは『エムジェイ』号で競走をしていた。しかし、復帰直後は苦難の連続だった。なかなか思うような走りができず、8着を重ねることも少なくなかった。復帰後に初めて1着を取ったのは実に29走目、8月1日にしてようやくだった。2勝目を挙げるまでにも約2ヶ月半を要し、まさに前途多難。完全復調への道のりは遠く長く、そして険しいものだと誰もが思った。
 
 しかし、有吉は諦めなかった。2015年5月8日に復帰後初優出と果たすと(結果は4着)その後の7月22日に復帰後初優勝を決める。徐々に成績を上向かせ始めた。2017年11月5日にはSG日本選手権で優出。11月23日にはG1で準優勝。そしてついに2018年4月15日にG1で優勝(平成チャンピオンカップ)するまでに復調してきた。2019年からは今も乗っている『キックアス』号に乗り換わり、4月8日にG2で優勝(オーバルチャンピオンカップ)の後、8月26日に浜松でG2ウィナーズカップも制覇。今のところ復帰後はG1を2つ、G2を4つ獲っている。2021年以降は優出回数も大幅に増え、2025年3月12日には史上32人目となる通算1000勝も達成。いよいよ本格復調、いや、新たにパワーアップした有吉辰也として以前よりも存在感を増している。あとは大怪我からの復帰後初となるSG優勝を待つばかりだ。

 文/高橋

 

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