オートレースの売り上げの推移

2025年05月30日

 
 
 近年のオートレースの車券売り上げは前年度比で上昇の一途をたどっている。直近10年を振り返り、その動向と理由を推察していきたい。
 
 2015年度は678億4959万4800円で前年度比が101・5%だった。
 2016年度、654億1626万6300円で前年度比96・4%
 2017年度、659億5313万2000円で前年度比100・8%
 2018年度、704億4768万7200円で前年度比106・8%
 2019年度、738億9166万6800円で前年度比104・9%
 2020年度、946億4554万800円で前年度比128・1%
 2021年度、1032億9495万2700円で前年度比109・1%
 2022年度、1075億4718万7700円で前年度比104・1%
 2023年度、1091億3117万円で前年度比101・5%
 
 そして、2024年度は1176億9078万400円で前年度比107・8%を記録した。
 
 2016年度だけは前年度比で100%を割ったが、これは2016年3月をもって船橋オートレース場が廃止になった影響が大きいと思われる。それ以外の年度は常に前年度比で100%を超えている。
 
 2013年からオッズパークでも車券を購入できるようになったが、今ではネット投票が車券の売り上げに大きく貢献している。
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 オートレースの醍醐味は、実際にレース場に足を運んでの生観戦。レース場で買った車券を握り締め、レースの行方を心を躍らせながら見るのが楽しいのは間違いないが、現地に行くには時間も労力も必要とする。レース場の近くに住んでいればいつでも行けるが、そうでない人がほとんど。更に、例えば伊勢崎オートレース場の近くに住んでいても、手軽に行けるのは伊勢崎オートレース場だけとなる。そこから浜松オートレース場や飯塚オートレース場に行くとなると、もはや旅行の域。もちろん旅行の意味も兼ねて、もしくはオートレース場に行くのが主目的でもいいが、気軽に車券を買うとなるとネット投票の方が何倍も楽。
 
 2015年からはミッドナイトオートレースが始まった。これは無観客での開催のため、現物の車券を買うことができない。ネット投票が車券を買う主な手段になるのだが、これが購買層との生活リズムに見事にはまった。一日の用事を終えた夜の時間帯にオートレースを楽しめ、車券を購入できる。数十年前と比べ、インターネット環境も大幅に良くなっているので、リアルタイムでストレスなくレースを観戦できる。また、ミッドナイトレースは車立てが少ないことが多く、車券が当てやすいという特徴がある。当たった配当金で繰り返し投票できるので売り上げの数字は上がる。
 
 今はオートレースの売り上げの約75%はネット投票でのものとなっている。近年のファンの生活様式、レースの開催形態を考えれば順当な結果と言える。ネット投票を取り扱っている会社はいくつかあるが、その中でも最も売り上げシェアが高いのがオッズパーク。ホームページの充実度や、さまざまなキャンペーンを行っており、ネット投票の売り上げをけん引している。
 
 文/高橋

 

「スマートリレー」ってこんな感じです

2025年05月23日

スマートリレー.jpgのサムネイル画像


 以前、このコラムで「スマートリレー」に少し触れたが、大綱が発表されたので再び取り上げてみたい。


 デイ、ナイター、ミッドナイト開催において、発走時間帯が重ならない、「オートレース スマートリレー」はレース数を11R制で実施し、デイ開催・ナイター開催においては8車立て、浜松アーリーレース、川口ナイトレース、飯塚・山陽ミッドナイトオートレース においては、7車立てで行う。なお、オーバーミッドナイトレースはその限りではない。


 デイレースとナイターが同日に行われる場合は、デイレース11Rの発走時刻は16:15、ナイター1Rの発走時刻は16:25と10分の間隔(しかなく、デイレース11Rでフライング等の事故があると重なる可能性はあるが...)。そして、ナイター11Rの発走時刻は20:50となる。ナイターは開始時間が遅くなり、ナイトレース・ミッドナイト(アーリーレース含む)はレース数が増えるぶん、1R~11Rのレース間隔は15分~20分とかなり凝縮されてしまい、車券戦術に要する時間も短くなってしまう反面、レース間隔が空きすぎてダレることはなくなる。

デイレースとナイトレースが競合する場合はデイレース11Rの発走時刻は16:35、ナイトレース1Rの発走時刻は17:35と1時間の空白。ナイトレース11Rの発走時刻は21:50。


 アーリーレースについては試行期間中はナイター記念と開催が重なる(6月11日~GII稲妻賞・7月9日~GII小林啓二杯)。1R発走は9:30、最終11Rは13:45。ナイター記念1Rの試走開始は14:05を予定。これにオーバーミッドナイト(8R制)が絡んでくるので(1R発走時刻は21:22~最終8R発走時刻は24:30)


具体的にタイムテーブルを挙げてみよう。


 6月13日、浜松アーリーレース2日目で一日が始まる。1R発走は9:30、最終11Rは13:45。そのあと伊勢崎ナイター「稲妻賞」3日目の1R試走開始は14:05。
(現時点では発走時刻の発表なし)最終12Rが終わって山陽オーバーミッドの1R発走が21:22~最終8R発走時刻は24:30となる。


 おそらく、このパターンが最も長いオートレースデイになるだろう。


 アーリーレースがなく、デイレースで始まるパターンとしては6月22日に川口デイレースの初日。1R発走は10:56、最終11Rは16:15。このあと飯塚ナイターの2日目にリレー。1R発走は16:25で最終11Rは20:50。そして、山陽オーバーミッドナイト3日目にリレー。1R発走は21:22~最終8R発走は24:30。

 どうですか?朝から深夜までオートレースがスムーズに楽しめますね!


 公営競技ではレース場や選手数で不利なオートレースだが、ファンの皆様と業界が一体となって盛り上げていきましょう!


(文/中村)

 

4月の出来事

2025年05月16日

 
 新年度になってから最初の節で優勝したのは金子大輔。その時点で優勝は通算54回目。今年に入ってから金子は4月終了時点で全47走し、着外はたったの3回。その内、2回は優勝戦でのモノなので、予選や準決ではほぼ車券に貢献している。その中にはもちろんG1やSGなども含まれているので、走るシリーズのグレードを問わず安定した成績を残し続けている。元々、定評があった捌きの鋭さに加え、近況はスタート力の向上がそれを後押ししていると考えられる。
 金子大 7.JPG
 4月中に初優勝を挙げた選手が2人いた。まずは23日の山陽オーバーミッドナイトで優勝した浜野翼。同期36期の中では7番目の優勝経験者となった。浜野翼は2024年2月から11月まで、ケガのため長期離脱を余儀なくされた影響もあって同期の中では初優勝まで時間がかかったが、それでもデビューしてから2年とかからず優勝を決めたのだから大したもの。初優勝の時は良走路だったが、今のところは重走路の方が好成績を残せている。もちろん良走路でもそれなりのスピードがある。まだまだ成長の余地を大きく残しており、目下の課題はスタートとなるか。同ハンに数車並んだ時に後手を踏んでしまうケースがあるので、そこをまずは枠ナリに出ていけるようにしたいところだ。
 
 もう一人は28日の山陽オーバーミッドナイトで優勝した本田仁恵。本田はデビューしてから相当苦しんだ。なかなか快走を見せることができず、初勝利を挙げたのは実に45走目だった。そこからはポツポツと白星を挙げることができるようになったが、それでも大敗か1着かという安定感には欠ける成績が続いていた。しかし、1級車に乗り換わるといきなり3連勝を決めた。そこからは実力アップとともに成績もだいぶ上向いていった。初優出は惜しくも2着で準優勝。そこから7度目の優出で、ようやく初の栄冠を勝ち取った。現在では、重走路で高い連対率を誇っているし、良走路でも追い込みが少しずつ上達している。この流れで総合力も増していくだろう。
 
 4月には記念レースが2つあった。今年度最初のG1は山陽の令和グランドチャンピオンカップだったが、ここでは鈴木圭一郎が優勝を決めた。鈴木圭は今年に入ってからも高い1着率を誇っていたが、意外にも3月までは優勝がなかった。今年の初優勝がいきなりG1となった形。
 
 もう一つの記念レースは、川口で行われたSGオールスターオートレース。ここでは地元の佐藤励がSG初優勝を決めた。それも6日間のシリーズでオール1着の完全優勝だった。優勝戦は苦しい展開だったが、最後まで諦めない姿勢が最終的に名誉をつかみ取るきっかけになった。オート界2強と言われている中で、明らかに若手の存在が目立ってきている。これからどのような戦力分布になっていくのか、それを見届けるのがオートレースの一つの楽しみになってきた。
 
文/高橋

 

師匠になると強くなる?

2025年05月09日

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 今年1月にデビューした38期生新人選手。新人選手それぞれに指導員(オート業界では師匠と呼ぶことが多い)がついて、乗り方や整備など指導し、1人前の選手になるように育てています。

 そんな指導員をしている選手(師匠)について、ふと思ったことがあります。

「師匠になったら、弟子に下手な所は見せられない、と奮起するのではないか?」
「師匠になった選手は成績がアップするのではないか?」

と、いうことで検証してみました。

 師匠として弟子を取る前の2024年1~3月の成績と、弟子を取る事になってからの2025年1~3月の成績を比べてみました。4名検証してみました。


◆A師匠のデータ

2024年1~3月
[1着]7回 [2着]7回 [3着]5回 [着外]20回 [優出]1回 [優勝]0回 3連対率 48.7%

2025年1~3月
[1着]7回 [2着]9回 [3着]7回 [着外]18回 [優出]3回 [優勝]0回 3連対率 56.0%

※出走回数の違いはありますが、A師匠の3連対率は48.7%から56.0%に上昇。優出も1回が3回と増え、成績が良くなっています。

◆B師匠のデータ

2024年1~3月
[1着]1回 [2着]1回 [3着]7回 [着外]23回 [優出]0回 [優勝]0回 3連対率 28.1%

2025年1~3月
[1着]5回 [2着]7回 [3着]9回 [着外]24回 [優出]1回 [優勝]0回 3連対率 46.6%

※B師匠の成績上昇が顕著で、2024年の3連対率28.1%に対して、2025年が46.6%と大幅に成績がアップしています。弟子を取った効果でしょうか。

◆C師匠のデータ

2024年1~3月
[1着]5回 [2着]6回 [3着]2回 [着外]16回 [優出]2回 [優勝]0回 3連対率 44.8%

2025年1~3月
[1着]8回 [2着]5回 [3着]2回 [着外]28回 [優出]2回 [優勝]0回 3連対率 34.8%

※C師匠は、データ上は弟子を取った後の方が3連対率は10%落ちていますが、1着回数が5本から8本に増えています。


◆D師匠のデータ

2024年1~3月
[1着]4回 [2着]6回 [3着]8回 [着外]20回 [優出]1回 [優勝]0回 3連対率 47.3%

2025年1~3月
[1着]7回 [2着]4回 [3着]10回 [着外]20回 [優出]1回 [優勝]0回 3連対率 56.0%

※D師匠は、3連対率が8.7%上昇。1着回数も4回から7回とやはり成績アップしています。


◎データ上は4名の師匠のうち、3名が弟子を取った後の方が成績がアップした。という事で、モチベーションアップしているのは間違いなさそうです。

 他の師匠にも、インタビューしてみました。

E師匠「自分は弟子を取った後でも、レースに対する姿勢は変わらないですよ。整備に関しても、基本的に何も言わないようにしている。自分で解決しないと成長しないからね。ただ、弟子が今、スタートの改善に苦しんでるけど、それを見て自分もスタートの改良に取り組んでいる。まず、自分が良くないとアドバイスできないからね」

F師匠「自分の場合はレースに対するスタンスは、弟子を取る前と全く変わらないです。整備なども本当に迷ったときにアドバイスをする程度ですね」

と、師匠によって考え方に多少違いはあっても、弟子の存在が刺激になっているようです。

38期名簿.jpg

 師匠になるという話は、基本的に各場の期別順で順番に話を打診されるようですが、なかには師匠を辞退する選手もいます。「自分の事だけで全然余裕がなくて、責任をもって弟子を指導する事ができない」などが辞退の理由の一つのようです。

 師匠になるメリットは、レースへのモチベーションアップ、整備仲間が増えるなどがありますが、負担に感じる選手は辞退する気持ちも分かります。

 結論として、師匠になった選手の成績がアップする事が多いことを考えると、車券の検討の一つに入れるのも手かもしれません。38期だけでなく39期以降も師匠になる選手に注目していきたい。

(文/金子)

 

有吉辰也という男

2025年05月02日

 
 
 全オートレーサーの中でも有吉辰也ほど波乱万丈なオートレース人生を歩んできた選手はいないだろう。
 有吉辰也 2.JPG
 粒ぞろいと言われている25期の中で、選手養成所最優秀賞を引っさげてオート界にデビュー。『レベル』号を駆った初戦は3着だったが、2戦目で初白星。その後も上位着を多く取り、2級車時代は6回の優出があったが準優勝が最も良い結果だった。そこから1級車『ファンネル』号に乗り換わり、2戦目で1級車初白星を挙げた。そして1999年8月9日、前の節で準優勝だった有吉は、ここで嬉しい自身初優勝を決める。
 
 2000年4月8日からはその後、長らく相棒となる『タツダンス』号に乗り換わった。最初の頃は落車も少なくなかったが、それでも着実にスピードとさばきを身に付け、2001年11月27日には伊勢崎の開設記念シルクカップ争奪戦でG1初優勝を達成。G2は2003年に地元でジュニア選手権とトーマスメモリアルカップを制覇。そこからもG1やG2で何度も優勝し、ついに2008年4月29日、浜松で行われたオールスターでSG初戴冠。そこからは2010年にオートレースグランプリ、2012年に全日本選抜を制しSG3V。また、2007年の全日本選抜から2010年の日本選手権まで、SG競走で19回連続で優出するという抜群の安定感を誇ってもいた。まさに充実一途と思われていたが...。
 
 2013年に悪夢が待っていた。9月8日、飯塚オートで落車し大怪我を負い、長期離脱を余儀なくされてしまう。復帰したのは翌年の4月11日の飯塚オートでだった。心機一転『ピスケス』号に乗り換わって再起を図った。ちなみに、それまでは『エムジェイ』号で競走をしていた。しかし、復帰直後は苦難の連続だった。なかなか思うような走りができず、8着を重ねることも少なくなかった。復帰後に初めて1着を取ったのは実に29走目、8月1日にしてようやくだった。2勝目を挙げるまでにも約2ヶ月半を要し、まさに前途多難。完全復調への道のりは遠く長く、そして険しいものだと誰もが思った。
 
 しかし、有吉は諦めなかった。2015年5月8日に復帰後初優出と果たすと(結果は4着)その後の7月22日に復帰後初優勝を決める。徐々に成績を上向かせ始めた。2017年11月5日にはSG日本選手権で優出。11月23日にはG1で準優勝。そしてついに2018年4月15日にG1で優勝(平成チャンピオンカップ)するまでに復調してきた。2019年からは今も乗っている『キックアス』号に乗り換わり、4月8日にG2で優勝(オーバルチャンピオンカップ)の後、8月26日に浜松でG2ウィナーズカップも制覇。今のところ復帰後はG1を2つ、G2を4つ獲っている。2021年以降は優出回数も大幅に増え、2025年3月12日には史上32人目となる通算1000勝も達成。いよいよ本格復調、いや、新たにパワーアップした有吉辰也として以前よりも存在感を増している。あとは大怪我からの復帰後初となるSG優勝を待つばかりだ。

 文/高橋

 

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