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競馬のプロが語るダービーとは

赤見千尋氏

赤見千尋さん

平成10年10月高崎競馬場にて騎手デビュー。以来、高崎競馬が廃止される平成17年1月まで騎乗を続け2033戦91勝。2004 年の高崎競馬廃止に伴い騎手を引退し、現在は「中央競馬ワイド中継」のリポーター、「競馬総合チャンネル 地方コース」の交流重賞展望などで競馬ジャーナリストとして活躍中。

赤見千尋さんが語る「ダービー」とは

競馬の最高峰は、ダービーである。

これは、世界共通の認識ではないでしょうか。何度も挑戦出来る古馬GIとは違い、一生に一度、その世代のチャンピオンを決めるダービー。騎手にとっても、リーディングジョッキーの他に、○○ジョッキーとつくのは、【ダービージョッキー】しかありませんからね。毎年日本で産まれてくる、約8000頭のサラブレッドたちの頂点が、JRAの『日本ダービー』。そして、現在ダート界の頂点に位置するのが、大井『ジャパンダートダービー』。

ダービーウイークが始まって、全国各地のダービーから『ジャパンダートダービー』を目指す体制が、やっと整って来ました。今はどの競馬場からでも、全国制覇を目指せるんです!!これは少し前の地方競馬では、考えられないような進歩だと思いますね。

ダービーウイークが始まった当初、各地のレースを取材に行った時のことです。見事地元のダービー馬の称号を手にしたトレーナーに、「ジャパンダートダービーに出走しますか?」と質問すると、たいていは…「なにそれ?」とか「大井?そんな遠い所、行かない行かない」と言われたものです。

これまでダービーを獲ったら、地元だけで完結していたんですね。さらに全国を目指せるというシステムがまだ浸透していなかったし、情報も少なかったし、輸送慣れもしていなかった。でも昨年辺りは、関係者の意識がだいぶ変わって来て…「地元ダービーを勝って、大井に挑戦!」といった雰囲気が、ヒシヒシと伝わって来ました。

【ダービー】というレースを通して、地方競馬全体が、1つになって来ているんだと思います。これが他のレースだったら、こうはいかなかったでしょうね。

なぜダービーが特別なのか。一般家庭から競馬界に入った私にとって、始めの頃、とても疑問でした。インタビューなどでよく耳にする、「目標はダービーです!」「ダービージョッキーになりたいです!!」という言葉。私には、何が特別なのかよくわかりませんでした。

高校を卒業して、地方競馬教養センターに合格するまでの半年間、所属予定だった畠中正孝厩舎で働き始めた時のことです。

当時の畠中厩舎には、無敗で『高崎ダービー』を目指す【ヒロベスト】という馬がいました。厩舎の中は、いい意味での緊張感でいっぱい。スタッフが一丸となって、ダービー制覇の夢を追っていました。

騎手学校に行く前ですから、当時の私には攻め馬は出来ません。それでも、私にダービーの雰囲気を経験させるために、毎日乗り運動をさせてくれました。「いいか、よく覚えておけ。これがダービーを目指す馬の背中だぞ」そう言われたことを、そして【ヒロベスト】の背中の感触を、今でもよく覚えています。

調整が進むにつれて、私自身の気持ちもドンドン高まって行きました。うちの厩舎だけでなく、ダービーに出走予定の厩舎は同じように緊張感がありましたね。同じ所で調教していますから、コースに出ると多くの注目が集まるわけです。出走しない厩舎でも、今年はどの馬が勝つのか、そして来年は自分たちも出走させるぞ!という気運が高まって、普段の競馬場とは全く違う雰囲気になるんです。

ダービー当日は、その緊張感が最高潮に達して、外から見ている私までドキドキわくわくしました。

レースは…【ヒロベスト】が好位から王道の競馬で抜け出した所、最後内を伸びて【マリンオーシャン】が1着。残念ながら、ダービー馬の称号を手にすることは出来ませんでした。この時の悔しさは…自分自身が騎乗していないレースの中で、ダントツの1番ですね。本当に本当に、悔しかった。

【ヒロベスト】はその生涯で、20戦15勝2着3回という素晴らしい成績を残し、大きな重賞も勝ちました。それでも、ダービー馬の称号を獲らせてあげられなかった…。ダービーとは…競馬に携わるすべての人の夢なんだと、そして簡単に手に出来るものではないんだと、教えてもらった出来事でした。

昨年のダービーウイークにも、歓喜の嬉し涙と、敗者の悔し涙がありました。今年はどんなドラマが生まれるのか…どの馬がダービー馬の称号を手にするのか…1年で1番の楽しみが始まります♪

※オッズパークでは東京優駿(日本ダービー)の馬券を販売しておりません。