Road Of Super Star 2025(プレミアムカップ終了時点)
2025年09月26日



今年末に開催されるSG第40回スーパースター王座決定戦へ10月29日~11月3日に行われるSG日本選手権を控えてトライアル16名の枠へ入るべく最終段階へ突入した。
SG全日本選抜で優勝の青山周平、オールスター優勝の佐藤励、グランプリVの鈴木圭一郎と3名は出場資格を有しており、残る椅子は13。
日本選手権を獲った選手はもちろん出場資格を得るが、現在ではSG・プレミアムカップ優勝戦ポイントで
黒川京介、金子大輔、佐藤摩弥、鈴木宏和、荒尾聡、中村雅人が上位に付けており、佐藤貴也や伊藤信夫、有吉辰也らも名を連ねている。
《SG・プレミアムカップ優勝戦ポイント順位》
1位...黒川京介 2位...金子大輔 3位...佐藤摩弥 4位...鈴木宏和 5位...荒尾聡
6位...中村雅人 7位...佐藤貴也 8位...伊藤信夫 9位...有吉辰也、高橋貢、篠原睦
※最終的な順位はJKA発表のものでご確認ください。
これに加えて各レース場の2025年1月~10月末の競走成績上位者が発表されるが、だいたいは重複選手が出る模様。
ゆえに、優勝ポイント最下位でも出場できる可能性があるのだ。ちなみにその選手とは長田稚也(現在3ポイント)。
その上に有吉辰也、高橋貢、篠原睦がおり、松尾啓史は点数は同じだがプレミアムカップだけの点数ゆえ順位としては12位となる。
下記のSG・プレミアムカップ優勝戦ポイントを参考にして、日本選手権優勝戦の出場選手が出揃えば、レースは無論のことポイント争いを別の視点から見るのも面白い。
なお、昨年に日本選手権を獲った黒川京介はフライングを犯しており、今回の日本選手権は出場できない。
ただ、上記の通り現在ポイント1位におりスーパースター王座トライアル出場は当確ランプが点灯。黒川は10月からの後期適用ランキングでS2となる。
不動といわれた青山周・鈴木圭の2強時代は幕を閉じ、これからは黒川や佐藤励をはじめとする川口軍団がオートレース界を引っ張って行くのか注目したい。

《SG優勝戦ポイント》
優勝...SS出場 2着...10 3着...8 4着...7 5着...6 6着...5 7着...4 8着...3
《プレミアムカップ優勝戦ポイント》
優勝...10 2着...8 3着...6 4着...5 5着...4 6着...3 7着...2 8着...1
(文/中村)
SGグランドスラマー
2025年09月19日
鈴木圭一郎がSGグランドスラマーの仲間入り!
2025年8月15日、鈴木圭一郎がまた新たな記録を更新した。現在5つあるSG競争のタイトルを全て獲得するSGグランドスラムを達成。史上7人目となるこの偉業だが、鈴木圭一郎はなんと30歳と8ヶ月15日で決めてみせた。これは片平巧さん(船橋19期・元オートレーサー)が保持していた33歳6ヶ月4日を上回り、最年少での記録となった。
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鈴木圭一郎はSGグランドスラムを達成するまでにSGで15回の優勝があったが、オートレースグランプリだけは獲得していなかった。同じくグランドスラム達成までに数々のSGで優勝していた高橋貢も、なぜかオートレースグランプリだけは縁が遠かった。しかし、2012年9月19日に、ついに大記録を達成。その後は2017年のオートレースグランプリで優勝し、ダブルグランドスラムをも決めている。
ちなみに、これまでダブルグランドスラムを達成しているのは先述の高橋貢を含めて4人。片平巧さん、永井大介、青山周平だ。オートレーサーになったらSG優勝は誰もが目標にするところだが、それを全てのSGで2度ずつ以上制しているのだから、これは大変な実績となる。SGは開催時期が1年の中でまんべんなくあるので、苦手な季節があってはならない。エンジン調整も含め、選手としての全戦力が備わっていないと成し遂げられない。
以前は現行のSG5競争の他に、SG東西チャンピオンカップという大会があった。この大会も含めたSGグランドスラム達成者は片平巧さんと高橋貢だけ。しかし、この大会は1997年から2000年までの4回しか開催されなかったので、他のSGグランドスラマーがこの大会を含められなかったのは仕方のない話。この大会は勝ち上がり方式がやや独特だった。タイトルネームにもあるとおり、優勝戦に進めるのは伊勢崎、川口、船橋の東地区から4名。浜松、飯塚、山陽の西地区から4名となり、極端な話、同じ地区から8名優出するということができなかった。オートレース界の最高グレードレースであるSGでこの勝ち上がり方式だと、やや公平さに欠けていると言わざるを得ない面があったせいか、わずか4回の開催で中止となってしまった。
話は戻るが、SGグランドスラム達成者は他に浦田信輔、中村雅人がいる。どちらも走りの攻撃力は高く、整備に関しても納得いくまで手を緩めないタイプ。やはり、偉業を達成するとなると、それなりの裏づけがあると言える。
鈴木圭一郎は今回、グランドスラムを達成したが、それを決めたオートレースグランプリ以外のタイトルはすでに3回ずつ以上制している。来年のオートレースグランプリで優勝すればすぐにでもダブルグランドスラムを達成できる。もっと言えば、その次の大会でも優勝すれば前人未到のトリプルグランドスラムをも達成できる状況にある。オートレース史の記録を次々と塗り替えている鈴木圭一郎は、これからも話題を提供し続けるだろう。
文/高橋
ハンデ位置の有利・不利
2025年09月12日

オートレースを予想するうえで、5割以上を占めると言われるのが「スタート展開」。
試走タイムが良くてもスタートが遅く、後ろに叩かれていては車券絡みは困難になります。
選手のスタートの巧拙はオートレースオフィシャルHPや専門紙などで、覚えていくしかないのですが、オートレーサーはデビューして5年程度も経過すれば、スタート力は大体定まってきます。その中でも「特にスタートが速い選手」と「特にスタートが遅い選手」は比較的早く覚えられると思いますのでまずは選手の巧拙をチェックしてください。
ハンデラインによって「叩きやすい」「叩かれやすい」ラインがありますが、まずは基本的なハンデの並び方を解説いたします。
0ハン~40m線は各ハンデラインの中央の点を基準として、2車以上だと点を挟んで配置されます。
50m線~110m線は、コーナーの回りしろを考慮されて、各ハンデラインの外から2m間隔で配置されます。
0ハン~30m線は大時計が近いため、タイミングを攻められますが、40mより後ろは大時計の針が視認しづらくなるため、タイミングは攻めづらくなります。(0.20以上になりやすい)
■0ハンと10m線の場合
0ハンのラインはコースに対し垂直にひかれており、10m線以降は斜め放射線状に線がひかれているため、10m線~20m線よりは角度的に微妙に距離があります。
実際は0ハンは1コーナーまでの距離が短いため、勢いが付きづらいというデメリットはあるものの、基本的に「0ハン~10m線はスタートで叩きにくい」、と言える。
ただし、0ハンが2級車で10m線が1級車の場合は、2級車はパワーがないため、やや叩かれやすくなる。
■20m線~30m線の場合
ちょうど4コーナーにかかる位置で、角度的に一番前を叩きやすいといわれている。特に30m線に3~4台並んだ時の最内枠は、20m線の選手を叩きやすい。
■40m線~50m線の場合
前述したが、0ハン~40m線まではハンデラインの中央に配置されるが、50m線以降はハンデラインの外から配置されるため、「40m線~50m線」のここが一番距離が離れる。よって最も「前を叩きにくい」ハンデ位置となる。
■50m線~60m線、60m線~70m線の場合
大時計から遠いため、スタートタイミングは攻めづらいですが、ハンデライン自体の感覚はあまり遠くなく、スタート巧者にとっては「叩きやすい」位置と言える。
■70m線~80m線
距離的には50m線~60m線、60m線~70m線と変わらないが、80m線からのスタートは、一度コーナーを曲がるためにグリップを緩める必要があり、前を「叩きにくい」位置となる。また、一度グリップを緩める事により、前と5~10m離され、実質的には85~90mのハンデを背負う事になり、そこから追い込む選手にとってはかなり過酷なハンデ位置といえる。最内枠は内線突破にも気をつけないといけない。
以上の事を頭に入れて、試走タイムだけでない、スタート位置の展開を予想に入れると、穴車券をゲットできるかもしれません。

文/金子
若井友和選手の通算1000勝にまつわる話
2025年09月05日
8月26日に若井友和が史上33人目の1000勝を達成した。この日は飯塚オートで行われていたG1ダイヤモンドレースの最終日だった。
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達成後のコメントとして若井は「初日からあと2勝なのは分かっていました。初日、2日目で1本取りたいと思っていたけど、厳しかったです。4日目は展開が良く勝てましたが、もう少し良くなればと思っていました。試走から感じが良かったです。みんなも今日行くしかないと応援してくれていました。
本当に周りに支えられてきたのでみんなのおかげです。自分は養成所でもダメだったので、加藤所長と八木橋さん(師匠)の教えを忠実に守ってきて、気がついたらここまで来ていました。飯塚のファンもすごく喜んでくれて嬉しいですし、ありがたいです。忘れられない1勝になりました。これからもいつも通り努力して、次の1勝を目標に頑張りたいです」と述べた。
シリーズ開催前から大記録は意識していたことだろう。そのプレッシャーの中でシリーズ4日目と最終日で連勝を決め、ついに快挙達成。本人のコメントの中には『養成所でもダメだった』とあるが、デビュー戦は2着。5走目にして初勝利を挙げている。その後も上位着を取り続け、デビューして3ヶ月後には初優出も決めている。2級車時代は重走路で初優勝を遂げ、1級車に乗り換わってからはすぐのお正月開催で優勝。1級車の最初の頃は反則や落車も少なくなかったが、着取り自体は安定していた。優出や優勝も順調に増え、2002年の地元G1開設記念グランプリレースでグレード初制覇。そして、2004年には地元開催だったSGオートレースグランプリでSGタイトルを初獲得した。
それからも川口を代表する選手の一人として、地元選手を鼓舞し、オートレースファンを沸かせ続けた。レーススタイルとしては的確で堅実な捌きを武器に、大混戦になるようなレース展開でも1車ずつ冷静に交わしていく走り。主戦車の車名である『モエルトウコン』が示しているようにガッツある走りが大きな魅力。しかしながら、レース経験に比例して、走りはクリーンさを増し反則行為や落車がほぼなくなっている。安定感ある走りやレース運びは若手のお手本となるほど。
さて、通算1000勝の大記録だが、最初に達成したのは山陽のレジェンドレーサー・秋田敬吾さんで、1986年11月16日に決めている。秋田さんはその後、2005年7月25日に通算1500勝をも達成している。デビューしてから最速で1000勝を決めたのは『ミスターオート』の異名を持つ飯塚将光さん。デビュー後18年と223日で大記録を樹立した。先述のとおり、1000勝達成者は33名だが、1500勝を越えているのは秋田敬吾さんの他に小林啓二さん、篠崎実選手(川口9期)、鈴木辰己選手(浜松13期)、岩田行雄選手(伊勢崎15期)、高橋貢選手(伊勢崎22期)と6人いる。
ちなみに2025年9月2日の時点で青山周平選手の勝利数は983。今年中にも通算1000勝を達成しそうで、更に青山周平選手は今年がデビュー15年目なので、最速記録を更新しそうだ。
文/高橋


