データで占う佐賀のJBC
2024年10月31日
24回目にして初めて佐賀競馬場が舞台となるJBCが間近に迫った。
"ダートの祭典"ともいわれるJBCは、これまでも当日の競馬場ではさまざまにお祭り的に盛り上げてきたが、佐賀競馬では2022年の競馬場移転開設50周年を機にJBCを誘致し、1年以上をかけてJBCを盛り上げてきた。これほど長期に渡ってお祭り感を演出した競馬場はこれまでになかったのではないか。
佐賀競馬で独自に育てたアイドルグループUMATENAは、たしかに現地に行くとかなり盛り上がっているし、9月23日に行われた『さがけいばMusicFestival』では、多数の厩舎関係者も出演して盛り上ったようだ。その模様はダイジェストでYouTubeで公開されている。
JBCは全国の地方競馬(2018年のみJRA京都)で持ち回りとなっているだけに、さまざまなコース形態で行われるが、おおむね1周1200メートル以下の小回りコースと、1400メートル以上のゆったりしたコースに分けられる。当然のことながら、そのコース形態によって求められる適性も異なる。
右回り、左回りという違いも馬によっては得手・不得手があり、たとえば2021年の金沢。JBCレディスクラシックに出走した大井のサルサディオーネ(10着)は、実績がほぼ左回りに限られ、川崎や船橋が舞台であればJpnIも勝っていたかもしれない。またハクサンアマゾネス(11着)は地元の1500メートルはあまり得意とはせず、出走を避けられてきたコース設定だった。
佐賀競馬場は1周1100メートル。これまで23回のJBCで、1200メートル以下の小回りコースが舞台となったのは、川崎が最多の3回、名古屋・金沢が各2回、園田・浦和が各1回で、計9回。その小回りコースで行われたJBCの勝ち馬から傾向を探ってみたい。
JBCクラシックは2015年の第15回まで、3連覇が2頭、2連覇が3頭と、勝ち馬が8頭しか存在しなかった。今ほど中央のダートの層が厚くはなく、適性以上に強い馬が圧倒的に強かった。タイムパラドックス(05、06年)は名古屋・川崎で勝ち、ヴァーミリアン(07〜09年)は大井・園田・名古屋で勝った。
連覇が出なくなった近年の小回りコースでの勝ち馬を見ると、アウォーディー(16年川崎)、チュウワウィザード(19年浦和)は、ともにJpnI初勝利で、名古屋でのダートグレード勝ちがあったというのが共通項。
地方馬として初めてJBCクラシックを制したミューチャリー(21年金沢)は、本番を見据えて同じ金沢2100メートルの白山大賞典2着から臨んだ。鞍上が地元金沢の吉原寛人騎手というのも大きかっただろう。
今年、コース適性・経験ということでいえば、右回りに実績が集中し、本番と同じコース設定の佐賀記念で59キロを背負って勝ったノットゥルノが有力となりそう。名古屋グランプリを勝っているという点でも、アウォーディー、チュウワウィザードと共通する。
コースの違いがもっとも大きいのはスプリントだろう。大井・盛岡のワンターン1200メートルと、コーナーを4回まわる1400メートルの小回りコースでは、求められる適性がかなり異なる。もっとも両方ともこなしてしまう馬もいるが。
昨年大井1200メートルの覇者イグナイターは、それまで1200メートルの実績がほとんどなく、22年盛岡のJBCスプリント5着が唯一の経験。それでも勝ってしまったのは能力の高さに加え、展開に恵まれた面もあった。イグナイターは、佐賀は初めてだが、もっとも得意とするコーナー4つの1400メートルが舞台。連覇への期待は大きい。
09年名古屋のスーニ、12年川崎のタイセイレジェンド、16年川崎のダノンレジェンド、19年浦和のブルドッグボスらは、いずれも前走大井1200メートルの東京盃で2〜5着に負けて臨んだ小回り1400メートルのJBCスプリントを制した。そういう意味では、今年東京盃で6着だったイグナイターは、その敗戦はあまり気にする必要はないのかもしれない。
2011年に第1回が行われたJBCレディスクラシックは昨年まで13回。そのうち小回りコースは、川崎・金沢で各2回、浦和で1回の計5回。レディスクラシックの基本距離は大井・盛岡の1800メートルだが、小回りコースでは浦和1400、金沢1500、川崎1600と、わりと短いコースで行われてきた。しかし今年は佐賀に新設された1860メートルと、JBCレディスクラシックとしては最長距離で争われる。
19年浦和を勝ったヤマニンアンプリメはもともとダート短距離を使われてきており、同じ浦和1400メートルのオーバルスプリントで牡馬相手に3着と好走しての参戦だが、これは例外的。
12年川崎のミラクルレジェンド、13年金沢のメーデイア、16年川崎のホワイトフーガ、21年金沢のテオレーマは、いずれも大井1800メートルのレディスプレリュードで1着または2着からの参戦だった。牝馬路線は選択肢が限られるだけに、そこに有力馬が集中しているということなのかもしれない。今年はレディスプレリュードと距離がほとんど変わらないだけに、レディスプレリュード1、2着だったグランブリッジ、アイコンテーラーを素直に狙うべきだろうか。
特にグランブリッジは、川崎コースでは5戦して2勝、2着2回、名古屋グランプリでも牡馬相手に2着など、小回りコースの実績も十分。おそらく1番人気なるだろうが、その人気には逆らわないほうがいいかもしれない。
ただダート路線の体系整備によって、今年から船橋・マリーンカップが3歳馬による前哨戦として行われるなど牝馬路線にも変更があっただけに、今後傾向は変わっていく可能背はある。
文/斎藤修
【私的名馬録】交流初期の佐賀を代表する キングオブザロード
2024年10月28日
6馬身差の圧勝だった97年サラブレッドグランプリ
日本競馬界の歴史に名を刻んだ名馬・競馬ファンの記憶に残る名馬の活躍を競馬ライターたちが振り返る私的名馬録。
今回のテーマは─
佐賀記念JpnIIIは1995年の地方中央交流化後はJRA24勝、地方4勝とJRA所属馬が地方を圧倒。
その地方4勝のうち、交流化2年目の96年(この年まで『開設記念』の名称で施行)はリンデンニシキが1着、その3着にはキングオブザロードと、当時の佐賀のサラブレッド2強として鎬を削っていた両馬がJRAと互角の戦いを見せ、地元ファンを大いに沸かせたものでした。
両馬がデビューしたのは94年で、翌95年はいわゆる"交流元年"。
佐賀競馬でも開設記念が交流化されましたが(初回勝ち馬はアドマイヤボサツ)、3歳時(現表記)の交流戦出走は、それ以前から地方馬に開放されていた小倉日経オープンにキングオブザロードが挑戦(9着)したのみでした。
この年の佐賀3歳二冠(栄城賞、佐賀菊花賞)はキングオブザロードとリンデンニシキが1、2着を分け合い、4歳になってリンデンニシキが名古屋大賞典(9着)、キングオブザロードがプロキオンステークスGIII(13着)とそれぞれ交流重賞に挑戦。
遠征では結果を残せませんでしたが、地元では1着、3着と上々の結果を残し、佐賀の馬も交流で十分戦えるとの期待を抱いたものでした。
キングオブザロードとリンデンニシキの直接対決は7度あり、栄城賞まではキングオブザロードが3度先着したあと、佐賀菊花賞、開設記念ではリンデンニシキが先着。
さらに96年のサラブレッドグランプリでは序盤から両馬のマッチレースとなり、激しい競り合いがたたってキングオブザロードは早めに後退し"両雄並び立たず"の7着敗退となったのが印象的でした。
97年の佐賀記念GIII(この年に改称されGIII格付)ではキングオブザロードがグリーンサンダーの4着を確保し、リンデンニシキは同8着。
これが最後の対戦となり、キングオブザロードが1つ勝ち越してはいるものの、どちらが強かったか?と問われると、やはり甲乙つけがたく答えは出ないところです。
当時の九州の地方競馬は佐賀、荒尾、中津の3場が存在し、いずれも週末主体の開催で日程が競合していましたが、地方競馬の売上低迷期に入り九州3場の連携を模索。
3場の日程を調整し、重賞の九州交流化で年間のレース体系を整備する『九州競馬』の枠組みが00年6月よりスタートし、8月に荒尾競馬場で行われた九州王冠には8歳になったキングオブザロードが出走。
5歳12月の佐賀場外オープン記念天山賞以降は重賞勝ちがありませんでしたが、直前にA級特別を勝利するなど、まだまだ存在感は健在。
2番人気に推されて逃げを打ちましたが、アイディアルクインの4着に敗退。
レース後には骨折が判明。『九州競馬』でも活躍を見たかったという想いはありましたが、このレースを最後に引退となりました。
キングオブザロードの重賞6勝はすべて佐賀限定戦でしたが、佐賀記念(開設記念)は96年から4年連続出走と、95年の交流元年から00年の『九州競馬』までの佐賀競馬を第一線で引っ張ってきた存在でした。
文/上妻輝行
OddsParkClub vol.69より転載
5年ぶりの復活! ばんえい競馬×ガールズケイリン2024
2024年10月24日
9月29日(日)帯広競馬場では『オッズパークpresentsガールズケイリンDAY 2024 in帯広競馬場』と名打ったばんえい競馬とガールズケイリンとのコラボレーションイベントが行われました。
コロナ禍明け5年ぶりとなった本イベントに、ガールズケイリンからオールスター競輪3位の日野未来選手、今年はGI戦でも勝利を重ねた飯田風音選手、地元北海道の期待の星 蛯原杏奈選手と畠山ひすい選手の4選手に出演いただきました。
イベント当日は天候にも恵まれ、場内は多くのお客様で賑わっておりました。
選手たちは十勝毎日新聞社への表敬訪問後、競馬場内では記念撮影やサインなど、ファンの皆様に直接お会いすることができ、
また、表彰式やトークショー、CS放送にも出演し、場内を大いに盛り上げていただきました。
そして当日のレースプログラムも、4選手の名前を冠したレースなど、メインレースまでガールズケイリン一色で行われました。
その中でも、この日のイベントで最も注目を集めたのは、なんといっても4選手による「エキシビションレース」実際のレースコースで、現役の競走馬をサポート騎手とともに走るチーム戦が行われました。
レース前には、騎乗練習が行われ、初めて巨大なばん馬に騎乗した選手たちからは、馬が大きくて迫力があった(飯田選手)
思ったより馬との距離が近くてびっくりした(畠山選手)
馬の息づかいの大きさやパワーのある走りにびっくりした(蛯原選手)
またプライベートでも帯広競馬場によく足を運ぶほどのばんえい競馬ファンを公言する日野選手からも、実際のレースを見ているときよりも、障害を越えるときの迫力や衝撃がすごかったと、納得のコメント。
皆さんそれぞれ普段のガールズケイリンでのスピード感や緊迫感とは異なる、ばんえい競馬ならではの力強さと迫力を体感していました。
そしていよいよレース本番、号砲、4頭一斉にスタート。
序盤から飛び出し第1障害をトップで切り抜けた先行の蛯原選手(菊池騎手)のトカチヒロ号は、そのまま勢い止まらず、難関の第2障害もトップでクリア。
そのトカチヒロ号を第2障害後、猛烈にチャージする畠山選手(島津騎手)のリアンザハート号。
トップスピードでついに捉えるか!と思われたところ、そのさらに後位から、ソリから立ち上がって自ら手綱を引くという離れ業をやってのけた日野選手(渡来騎手)のタカラウンカイ号が2頭を急襲し、勢いそのまま、見事差し切って優勝しました!
悔しくも最後尾となったサカノスピード号も、飯田選手(松本騎手)が最後は力強く手綱を握って完走へと導きました。
4頭とも200メートルを見事熱走しました!
レース後、1着の日野選手は「タカラウンカイ号と渡来騎手と駆け抜けられてよかった」
レースを終始リードした蛯原選手は「事前練習もしていましたが、本番での迫力がとてもすごくて、自分自身とても楽しめた。スタート直前の馬の様子が印象的で、レースにピリッと集中して入っていくところは自分も参考にしたい。」
ガールズケイリン選手になる以前、乗馬の経験がある畠山選手も、「今回はじめてばん馬にのってみて、体の大きさと筋肉の太さと動かし方を見てびっくりした。エキシビジョンレースについては、いいペースで進んでいましたが、最後は少し(馬に)疲れが出てしまった(笑)」
見事完走した飯田選手は「ばんばのスタートからの初動が大きくてびっくりした。最後は応援してくださるお客様の声も聞こえて、
とても楽しく走ることができた。」と、それぞれが初めてのばんば騎乗を楽しく振り返ってくれました。
白熱のレースを競馬場で、そしてネットでお楽しみいただいたお客様・ファンの皆様、帯広競馬場のスタッフの皆様、そしてガールズ選手たちをサポートしていただいた松本秀克騎手、菊池一樹騎手、渡来心路騎手、島津新騎手、関係者の皆さま、
ご協力に感謝申し上げます。誠にありがとうございました!
文/オッズパーク編集部
「ユタカさんが乗ると、別馬みたい」武豊騎手のアレンパに盛り上がった園田・ゴールデンジョッキーカップ
2024年10月01日
今年もゴールデンジョッキーカップ(GJC)がやってきた。通算2000勝以上の名手による戦いで、昨年覇者の武豊騎手(JRA)のほか、地方復帰した小牧太騎手が兵庫所属としては21年ぶりの出場。検量室付近はあちらこちらで名手を中心に輪ができ、話に花を咲かせた。
今年の初出場は笹川翼騎手(大井)。まだ30歳で、今年7月の地方通算2000勝達成は大井所属騎手として史上最速だった。
「同期で"ゴールデンジョッキー"って、勝ちすぎでしょ」と笑ったのは、兵庫の井上幹太騎手。彼らはともにデビュー12年目。単純計算でも年間150勝以上を毎年続けなければ到達できない。ましてやそれが激戦区の南関東なのだから、同期の井上騎手がそう言うのも無理はない。
また、元気な姿を見られて嬉しかったのは、2年ぶり2回目の出場の山本聡哉騎手(岩手)。昨年、中指に悪性肉腫が見つかり、手術を受けた。騎手は手綱を通して馬とコンタクトを取る。指の手術では腱や神経、毛細血管などにも影響が及ぶため、繊細な感覚が損なわれないか、不安も大きかったことだろう。
「リハビリを始めたばかりの頃は力が上手く伝わらなくて、自分の指なのに棒みたいでした。『どうやって動かすんだ?』と思いました」
そこから復帰の過程では体全体のトレーニングも強化し、筋肉量は手術前よりアップ。小柄な体型を生かして以前から騎手の中ではマッチョだったのだが、腕や胸がさらにパンプアップした印象を受けた。
もう一つ、思わぬ効果もあった。それはいい意味で息抜きができたこと。高いレベルで結果を求め続けられるトップジョッキーゆえ、気づかぬうちに精神的に追い詰められていたようで「休んでみて『あ、神経がすり減っていたんだ。しんどかったんだ』と気づきました」とスッキリした顔で振り返った。
その横でひときわ人だかりができていたのはレジェンド・武豊騎手。昨年は12年ぶりの出場で優勝を決めると、夜は甲子園球場に行き、阪神タイガースの18年ぶりリーグ優勝を見届けた。当時流行った優勝を意味する隠語「ARE(アレ)」にちなみ「今年は"アレンパ"を目指します」と笑った。
そこに小牧騎手がそこに加わると、大撮影会がスタート。古巣・兵庫に復帰した小牧騎手と、というのがまたたまらない。
小牧騎手とすれ違った森泰斗騎手(船橋)がふと「小牧さん、シュッとしました?」と驚いたように、古巣への復帰直前から週中はお酒を抜き、「3キロ痩せて、体が軽いわ」と本人も違いを実感。
第1戦はその小牧騎手が単勝1.6倍の1番人気に支持された。騎乗するリケアヴェールは兵庫移籍後2連勝中。強いて不安点を挙げるとすれば、最初のコーナーまでが短い1230mで最内枠が当たったため、万が一にも出遅れて内で包まれることだった。しかし、ロケットスタートを決めて僅かな不安をも吹き飛ばすと、直線はグングン後続を引き離して6馬身差で完勝。
「これってヤラせですか?ってみんなに言われたくらい強かったです(笑)」
と小牧騎手は多くのファンを前に"フトシ節"を炸裂させた。
第2戦は中団からグイグイと脚を伸ばしたベラジオサキと吉村智洋騎手(兵庫)が勝利。
第1戦も3着で暫定1位に立ち、「ここまでは順調かなと思います。隙がないレースで、楽しいですね」と、この日、年間200勝を達成し地元リーディングをひた走る39歳は、大先輩たちとの戦いに刺激を受けていた。
名手たちの騎乗は、負けても「さすが」と唸るレースも多かった。
その一つが第2戦で2着のエイユーマックス。元ジョッキーでもある永島太郎調教師は目を丸めながらこう話す。
「この馬は人を乗せるとチャカチャカしてしまって常歩ができないんですけど、今日は別馬みたいでした。返し馬もいい意味で力が抜けてゆったりと行けていました。これがユタカさんの天才たる所以なんでしょうね」
レース前まで着けていたメンコは武豊騎手がGJC限定で着用したスペシャルウィークの勝負服(臼田浩義オーナー)の柄に合わせたもの。実はコレ、同勝負服をGJCで初めて着ることになった昨年に制作をしていたもののわずかに間に合わず、今年が初お披露目になったのだ。そうした中で馬を一変させての2着は、敗れた中にも収穫があっただろう。
最終戦の第3戦もレジェンド・武豊騎手が魅せた。
1周目スタンド前で徐々にポジションを上げると、直線で差し切り勝ち。その瞬間、園田競馬場は割れんばかりの歓声に包まれた。
勝ったコンドリュールを管理する松浦聡志調教師もこの笑顔。
GJCが始まる前、調教師室がある2階テラスから 「隣の二人とも元ゴールデンジョッキーや。僕は400勝ジョッキーやけど(泣)」と自虐を口にしていたが、調教師としてGJC勝利を収めた。
ちなみにその二人のゴールデンジョッキーは、4100勝ジョッキーでGJC優勝経験もある有馬澄男調教師と、3500勝ジョッキーの木村健調教師だった。
また、ここでも敗れながらも名手ならではのセンスを発揮したのは岩田康誠騎手(JRA)。シフノスに騎乗し、後続を10馬身以上離す大逃げを見せて4着だったのだが、この騎乗に感嘆したのは南関東時代に騎乗経験のあった笹川騎手。
「乗り味がすごくいい馬で、『大井で3連勝できるのでは』と思っていたんですけど、結局勝たせることができませんでした。追うと反抗する面があったり、乗り難しいんです。こういう風に馬の気分に任せて行く形が合っていたんですね」
管理する新子雅司調教師とそう言葉を交わすと、「また東京で」と、2週後に迫った東京盃JpnIIでイグナイターとのレースを楽しみにしながら帰っていった。
3戦の結果、総合優勝は武豊騎手。
戦前の予告通り「アレンパ」達成となり、「タイガースもしてほしいですね」とニコッと笑った。
「今年も全国から素晴らしいジョッキーが集まって、今年は何といっても小牧さんが園田に移籍して、久しぶりに一緒に乗れて嬉しい一日でした」
総合2位は吉村騎手。
「やっぱりユタカさんとは役者が違いましたね。僕の庭まで取っていっちゃうと、さすがに出る幕がなくなっちゃって、完敗です」
総合3位はこの日の主役の一人だった小牧騎手。
「一つ勝ててよかったです。川原(正一)さん以外は若いジョッキーとずっと乗ってきたけど、今日はユタカくんが来てくれて、ホッとしました。たくさんのファンが来てくれて、園田もいいなと思いながら乗っていました。園田では毎週3日、競馬をやっているのでぜひみなさん来てください」
最後に、ゴールデンジョッキーを支える人たちの話も。
サポートの一つにバレットという仕事があり、騎乗に向けて必要な物を準備したり、レース後は次の騎乗へスムーズに向かえるよう道具を綺麗にするほか、時にはジョッキーがメンタルを整えられる環境も作っている。
森騎手とこの日、園田競馬場に来たバレットもその道のプロで、ともに戦ってきた。その彼がこの日、着ていたポロシャツには「V2300」の文字が。
「通算2300勝を達成した時の記念品で、森さんから『いつの着てるの(笑)』と言われました。これ以降の記念品がたまたま冬仕様で、暑い日に着られるのがこれしかなかったんです。」
調べてみると、2018年7月の達成。約6年であっという間に2000勝を積み上げたことに驚くとともに、その活躍を彼がサポートしてきた証でもあるのだろう。
文/大恵陽子