10月の出来事

2025年11月28日

 
 
 10月に行われた記念レースの優勝戦は、山陽のG2若獅子杯争奪戦のみ。そこで見事に優勝したのは石本圭耶だ。優勝戦は試走タイムが劣勢だったが、レースが始まってみるとスタート速攻から魂の逃げ粘りで勝利を手繰り寄せた。この時に乗っていた競争車は『テンヤシャ』。これは、師匠である重富大輔さん(飯塚27期・元オートレーサー)が乗っていた競争車と同じ車名のエンジン。石本圭耶は2019年にデビューし、2025年に記念レースで初制覇となったが、重富大輔さんも2001年にデビューすると2006年に記念レースで初制覇したように、師匠と同じようなタイミングで記念タイトルを手にした。これには偶然とは思えない何かを感じさせた。石本圭耶はまだまだ成長盛りの26歳。これからどのような進化を遂げるのか見守っていきたい。
 
 10月に複数回優勝があるのは青山周平、篠原睦、黒川京介の3者。10月最初の優勝戦になった1日の伊勢崎ナイターで青山周平が完全優勝。20日に行われた優勝戦でも初日からオール1着の完全優勝だった。10月の青山周平は特に凄かった。SG日本選手権の3日目にあたる31日の重走路だけ2着で、それ以外の全て1着。10月は出走回数が少なかったのもあるが、完璧なレース結果を残してみせた。若手の突き上げもあり2強時代が終わりを迎えているが、青山周平のパワーはまだまだ健在だ。
 
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 ↑黒川京介選手
 
 その2強に割って入る一人・黒川京介も10月は充実した月となった。後半の地元ナイトレース2節で連続完全優勝を達成。10月は全13走して1着が10回、2着が2回、3着が1回。全て車券に絡めているし、2着の内の一つはG2若獅子杯争奪戦でのモノ。今年は15回の優勝を誇り、10月に限ったことではなく、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いを見せている。次世代のヒーロー候補は総合戦力をますます増している。
 
 篠原睦は12日に地元のオーバーミッドナイトで、更に17日には地元の昼間開催で優勝。レースの時間帯に影響されることなく、常にハイパフォーマンスを提供し続けている。10月は全18走して1着が12本、2着3本、それ以外も5着以下はない。エンジンを高い位置で推移させ、更に走る方も高いモチベーションを保ち続けていなければできない実績だ。
 
 他で活躍が目立ったのは鈴木聡太。27日の地元アフター5ナイターで優勝していた。鈴木聡太は9月24日にも優勝しており、この約1ヶ月は素晴らしい競争を見せることができていた。元々、乗り手の捌きに関しては一定の評価があったので、それに加えてエンジン力が伴うと好成績が残せる選手だ。
 
 5日には珍しい出来事が起きた。この日、開催されていた飯塚オートは発走合図機の不具合で、スタートが手旗による発走となっていた。そこでは長田稚也が慣れていない手旗発走で優勝。大昔は手旗での発走が普通だったし、その後も発走合図機が故障すると臨時で手旗による発走になることもあったが、この優勝戦では最も若い期である長田稚也がしっかり対応できた。捌きには定評のある長田稚也だが、突然の状況の変化にも見事に適応させていた。
 
文/高橋

 

差が付き始めた38期たち

2025年11月21日

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【川 口】

 養成所の最優秀選手を引っ提げて川口デビューした上原大輝が18勝と伸び悩んでいる。38期の最初に優勝戦乗ったのはさすがと言えるが、いまだに優勝はなし。デビュー2走目で初勝利を挙げた運天諒雅は3月15日の落車後はパッとしない成績だったが、最近になってタイムが出始めて素質が開花しつつあり、優出2回と健闘してる。染谷和香はデビュー2節目に落車し、その後も車券の対象になっておらず最高位は4着だが、中盤以降の走り方に工夫できれば、ステップアップも夢ではない。当面の目標は上がりタイム3.50を切ることだ。

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【伊勢崎】

 佐々木光輝は雨にも風にも負けない気持ちの強さがあり、気温が下がってきてからは常速3.43前後の上がりタイムを計時。優勝はないが、近い将来に『V』の文字を手繰り寄せられる選手だ。直前のアフター5で今年4回目の優出(結果は総評欄に↓)。浜田樹来は2着1回あるが、その他は末着が多い。抜かれてあっさり後退してしまうので、もう少し粘り強さが欲しい。加えて、試走タイムも出せるようにしたい。

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【浜 松】

 鈴木景斗は川口で1度優出しており、現在14勝ながらレース内容は徐々に良くなってる印象。地元走路に限るが、雨でもなかなかの成績を挙げている。瀬戸尾侑宏は地元で3勝と一歩一歩進んでいる。デビュー前半で4勝挙げた宮司佳奈が足踏み状態なので、早く追い付き追い越したい。脇川大樹は9月の飯塚デイレースで初勝利。まだ、乗り手とマシンのバランスが取れてないが、マッチすれば...。坂本茉奈は先日、伊勢崎の雨走路で待望の1着。雨の方が得意なのかもしれない。めざすは良走路の1着だ。

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【飯 塚】

 竹尾竜星は9月4日のオーバーミッドで初優出し、見事1着ゴールで38期の優勝一番乗りを果たした。その自信からなのか、最近の乗りっぷりは目を見張るものがある。21勝と38期全体でも圧倒してる。壷井亜羅汰は雨で5勝、良走路は3勝の合計8勝と歩みは遅いが着実に力は付けてる印象。藤井真弘はつい最近、11月16日の飯塚ミッドナイトで竹尾とともに優出。結果は7着だったが(竹尾は3着)、準決で3.45出した動きを見てると逃げるレースなら期待が持てる。現在12勝と急激に走りが良くなった選手のひとり。田中海斗は8月の飯塚で初勝利を挙げたが、その1勝のみ。安定感が出てくればいいのだが...。

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【山 陽】

 養成所では川口の上原に次ぐ選手で、現在16勝と18勝の上原を猛追してる植村愛悠斗。10月に若獅子杯に出場したが、節間にフライング2回。4日目と5日目は2着に粘って大器の片鱗を見せた。その植村をしのぐ走り見せてるのが藤本悠仁。若獅子杯では1着1回、2着と3着1回ずつと期待に応える動きだった。現在19勝と竹尾竜星を追う。浜松以外の4場で勝利を挙げており、レース場に左右されない強みがある。日名子幹正は、まだ5勝ながら上がりタイムが出てきたので、展開次第では車券に絡める可能性秘めてる。小松俊輔は未勝利でタイムも3.50切れてないが、11月19日の山陽で3着と自己初の掲示板となった。小川可蓮は10月の山陽で初勝利挙げたが、その後は8着が多くなってしまう。


《総 評》

 竹尾はライディングが飛躍的に良くなったのが活躍できてる証。師匠に岩見貴史というのもプラス材料だ。これから走路が冷え込むので、しっかりとタイヤを喰い付かせられるか、更にペースアップも可能だ。佐々木光も伸び代はたっぷりありそう。本場の伊勢崎は消音マフラーではなく、スピードが出ても操縦できる環境は整ってる。(最新ニュース)4度目の優勝戦は11月19日のアフター5。逃げ切りと思われたが最後、桜井晴光に差されて無念の準優勝。自己タイム更新しただけに、実に惜しかった!

【トップ5】

         優勝回数 優出回数 勝利数 地元最高タイム
① 竹尾 竜星    2回   1回   21    3.419
② 藤本 悠仁    2回   0回   19    3.429
③ 佐々木光輝    4回   0回   17    3.416
④ 上原 大輝    1回   0回   18    3.435
⑤ 植村愛悠斗    1回   0回   16    3.426

※データは2025年11月19日終了時点

(文/中村)

 

年末までもう待てない 第40回スーパースター王座トライアル出場16名が決定!

2025年11月14日

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 早いもので、あと1ヵ月と少しで2025年の年末を迎える。そして、おおみそかのスーパースター王座決定戦へ出場する8名を決めるトライアル戦へ出場する16名が決まった。


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 まずは、全日本選抜優勝の青山周平。伊勢崎の競走成績1位も兼ねている。続いてはグランプリを勝ってグランドスラマーの仲間入りした鈴木圭一郎。言わずもがな浜松の競走成績1位である。そして、先日の日本選手権を獲ったばかりの佐藤励はオールスターに続きSG2冠となった。この3名はSG覇者として優先出場。

 続いては川口の競走成績1位が黒川京介。SG・プレミアムカップ優勝戦ポイントでも断トツの1位だったが、こちらが優先になる。飯塚の競走成績1位は有吉辰也で出場は6大会連続。山陽の競走成績1位は松尾啓史だ。※競走成績の審査期間は2025年1月1日~10月31日


 SG・プレミアムカップ優勝戦ポイントは1位が金子大輔、2位が鈴木宏和、3位に佐藤摩弥。佐藤摩弥はガールズ王座でも出場権利あったが、格上のSS王座トライアル出場となる。以下、4位・荒尾聡、5位・中村雅人、6位・早川清太郎、7位・佐藤貴也、8位・伊藤信夫、9位・吉林直都、10位・篠原睦の以上16名がトライアル出場を決めた。


 佐藤励と吉林直都がトライアル初出場となり、最多出場は荒尾聡の22大会連続出場(安定感はバツグン)で、2017年にはSS王座に輝いてる。

 今年で第40回を数えるスーパースター王座決定戦は昨年覇者が鈴木圭一郎、その前が青山周平と第34回(2019年)から、この両者でタイトルを獲りあっており、青山周平は2019年からSS3連覇の偉業も成し遂げた。

 今年は川口を本拠地とする黒川京介と佐藤励が、上記の2名に割り込みそう。というか今年の黒川京介はスタート、スピードがズバ抜けており、佐藤励もスピードを増しており、捌きでは黒川京介を上回る評価。ちなみに11月12日に開幕したG2オートレースメモリアル初日の選抜予選では、黒川京介が飛び出して圧勝し、2番手に付けた鈴木圭一郎を佐藤励が捌き、場内はどよめいた。

 どうやらオート界の勢力図が変動期に入った感があり、来年から1級車に乗り換わる37期の動向にも注意が必要だが、現在S級15名と全国で一番多く輩出してる川口王国の地位を他場の選手が揺るがすかどうかの構図は続きそうだ。


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 初日にはガールズ王座決定戦も組み込まれており、出場する8名は以下の通り。ガールズ王座予選ポイント1位が新井日和、2位は岡谷美由紀、3位に西翔子、4位が松尾彩。5位は稲原瑞穂、6位に本田仁恵。加えて競走成績1位として小椋華恋、2位が前年にガールズ王座獲った高橋絵莉子の計8名。新井日和はこの中で唯一、今年の日本選手権を経験しており、勝利こそなかったがオール0mで戦った貴重な体験のアドバンテージがある。※競走成績の審査期間は2025年1月1日~10月31日

 スーパースター王座決定戦は2025年12月31日(5日目)の12R、ガールズ王座は12月27日(初日)の10R(現時点では未発表)。どんなドラマが待ってるのか、今から楽しみでならない。


(文/中村)

 

オートレース場ヒストリー

2025年11月07日

 
 
 今回は前回に続いて、オートレース場の歴史に関する後編を述べていきたい。
 
 『大井オートレース場』

  
 1951年10月に東京都議会でオートレース場建設促進に関する請願が採択され、12月の都議会本会議で大井競馬場にオートレース場を併設することが決まった。走路は周長500メートルのアスファルト舗装で、全国で初の舗装走路と都心にあるオートレース場ということもあって、関係者の大きな期待を寄せられての開場となった。1954年11月28日にオープンしたが、思うような売り上げ、入場者数にはならなかった様子。原因の一つとして、選手が舗装走路に不慣れのため、レースに迫力を欠き興味が薄れたこともあったようだ。開場してから15年を経過した1969年1月、当時の東京都知事が都営ギャンブルの廃止声明を出し、廃止が決定された。そして、1973年3月22日の開催をもって最後を迎えた。しかし、全国初の舗装走路で開催されたことは、その後の全国舗装がスムーズに実現できるようになった要因として大きな功績を残した。
 
 『浜松オートレース場』

  
 浜松市は1952年ごろから競馬場の設置を推進していたが、1954年に正式に不許可になった。ちょうどその頃、競争法の改正があって、レース場の所在市町村に開催権が与えられることになったため、浜松市もオートレースの開催に乗り気になり、オートレースの実施が浜松市議会で決議された。そして、1956年5月1日にオープンした。ちょうどその時に「浜松まつり」が行われていた影響もあってか、来場者数、売り上げともに上々の滑り出しをみせた。
 
 『飯塚オートレース場』

  
 飯塚市は浜松市と同様に、オートレースの施行権が市町村に与えられると開催意向を表明し、1955年に飯塚市議会でオートレース場の建設が議決された。建設地は多少もめたが、今の場所に決定し、1957年2月22日に九州で初のオートレース場として飯塚レース場が誕生した。開場当日は天候にも恵まれ、近隣から多くのファンが集まった。
 
 『山陽オートレース場』
 
 前編に登場した『柳井オートレース場』が1957年に休止になったため、移転先を探していたところ、厚狭郡山陽町が名乗りを挙げ、1958年9月に山陽町議会でオートレース場の設置が決まった。しかしその後、いろいろと紆余曲折があり、実際に誕生したのは1965年までかかってしまった。その4月10日に初開催を迎え、入場者数、売り上げともに大成功で、翌日の日曜日には一万人以上のファンでスタンドが埋まったという。
 
 『伊勢崎オートレース場』
 
 大井オートレース場が1973年に廃止されると、その前後から群馬県榛名郡榛名町と伊勢崎市がオートレース誘致に動き出したが、最終的には伊勢崎市に誘致されることになった。1976年10月6日に伊勢崎オートレース場が完成し、その3日後に初開催となった。初日は天候に恵まれなかったが、入場者数、売り上げともにまずまずのスタートを切り、翌日の日曜日は天候にも恵まれ多くのファンで賑わい大成功を納めた。
 
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 前編では触れなかったが、『船橋オートレース場』は2016年3月に廃止になっており、現在は全国で5つのオートレース場が存続している。
 
 文/高橋


 

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