オートレース発祥の日
2025年10月31日
10月29日は『オートレース発祥の日』ということで、これまでに誕生したオートレース場について述べてみたい。今回は前編。
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『船橋オートレース場』
オートレースは1950年10月29日に千葉県船橋市にある船橋競馬場のコース内側で初めて開催された。なぜ競馬場が選ばれたかというと、オートレース場の建設には広大な敷地と莫大な資金が必要だったが、1950年6月に船橋競馬場が建設されたことから、その馬場の内側にダート走路を設置することで各関係者の合意が得られた。開催当日は約3万4千人の大観衆がスタンドを埋め尽くしたという。
『園田オートレース場』
兵庫県尼崎市にある園田競馬場を使用し、関西地区初のオートレース場となる園田オートレース場が1951年10月5日にオープンした。当初は芦屋と尼崎の候補地のうち、芦屋に決定をみられていたが、そのレース場が建設されるまでの間の暫定的なものだった。開催初日からの3日間は、まずまずの売り上げがあったが、後半3日間は大幅に減少してしまった。その後も売り上げが不振だったため、1953年1月に登録取り消しが決定した。
『長居オートレース場』
かつて大阪にもオートレース場があった。当初は専用オートレース場を建設する予定だったが、費用の都合で当時あった長居競馬場の走路やスタンドを改修して併設使用することになった。長居競馬場の隣接地には大阪中央競輪場があり、その売り上げが好調だったため、オートレース事業も大いに期待された。そんな中、1951年11月1日にオープンしたが、売り上げは予想外の結果で良くなかった。また、隣接する小学校のPTAから、騒音のため学校の運営に支障があるとして反対運動が起きたのもあって長居オートレース場は1952年4月6日を最後に閉幕となった。開催日数は、わずか16日だった。
『柳井オートレース場』
1951年11月20日に山口県で柳井オートレース場が誕生した。ここは柳井競馬場跡を利用したものであって、周長は1000メートルの走路であった。売り上げがそこまで良くなかったことに加え、1955年9月に台風の影響で堤防が決壊し、レース場施設は全半壊の災害を被った。それでも施設者の復興決意によって1956年1月に再開にこぎつけたが、売り上げが著しく落ち込み1957年10月3日を最後に休止に追い込まれてしまった。
『川口オートレース場』
埼玉県では設置候補地として大宮市、川口市、戸田市が名乗りを挙げたが、県議会本会議での投票で最終的に川口市に決定した。そして、1952年2月1日に開催初日を迎えたのだが、前夜からの大雪により、開場式典は行ったもののレースは順延になった。改めて迎えた開催初日の入場、売り上げともに期待はずれの数字だった様子。
『甲子園オートレース場』
兵庫県では園田オートレース場がなくなった後、甲子園競輪場の走路の内側にオートレースの走路を設置し、甲子園オートレース場が誕生した。その当時、甲子園競輪場の売り上げが良かったため、オートレースの売り上げも期待され、1953年3月17日にオープンしたが思うような数字には到達しなかった。その後、2年開催されたが売り上げは下降線を辿り、兵庫県知事の廃止声明により1954年度の開催をもって甲子園オートレース場もなくなってしまった。
文/高橋


