【私的名馬録】遠征で輝いた牝馬「トラベラー」
2024年07月30日
遠征先のダートグレードで好走を見せたトラベラー
日本競馬界の歴史に名を刻んだ名馬・競馬ファンの記憶に残る名馬の活躍を競馬ライターたちが振り返る私的名馬録。
今回のテーマは─
"名は体を表す"と言うが、地方馬としてこれほどその名にふさわしい活躍をした馬がほかにいただろうか。
旅の始まりは1999年の3歳時。名古屋の東海クィーンカップを勝って、JRA桜花賞トライアルのチューリップ賞に挑戦したが、さすがに相手が強く13着に敗れた。
当初それほど目立った成績を残していたわけではなく、8月のMRO金賞で6番人気ながら地元重賞初制覇となった。
秋、盛岡・ダービーグランプリGIの前哨戦として、この年から中央交流のGIIIとなった金沢のサラブレッドチャレンジカップでは5着。古馬相手の白山大賞典GIIIもさすがに勝負にならず9着だった。
ところが初めての長距離遠征となったダービーグランプリGIで足跡を残す。
出走12頭で最低人気。前半はほとんど最後方だったが、ラチ沿いから位置取りを上げると直線そのまま内から伸び、勝ったタイキヘラクレスに3/4馬身+2馬身差まで迫る3着と好走。
2000年、4歳となったトラベラーは、6月の百万石賞を制したあと、再び旅に出た。
盛岡・マーキュリーカップGIIIは5着だったが、船橋・日本テレビ盃GIIIで3着に健闘。勝った地元船橋のサプライズパワーに1秒3という差をつけられたが、1歳上のダービーグランプリ馬、ナリタホマレ(4着)に先着した。
地元ならと期待された白山大賞典GIIIだったが7着。2着ハカタビッグワン(笠松)、3着ゴールドプルーフ(名古屋)、5着ミストフェリーズ(高知)ら他地区から遠征の地方馬の後塵を拝した。
それでも名古屋に遠征した東海菊花賞GIIであらためて能力の高さを見せた。
このときも12頭立て11番人気。定位置ともいえる後方3番手からの追走で、名古屋の短い直線を追い込んだ。
人気にこたえて勝ったのは、牝馬ながらこの年の帝王賞GIを制していたファストフレンド。
1馬身半差2着のスナークレイアースを交わすかという勢いで、トラベラーはアタマ差3着。
コースレコードでの決着からコンマ3秒差だった。
遠征で強敵相手に力をつけたトラベラーは地元に戻り、断然人気に支持された北國王冠では2着に3秒の大差をつける圧勝。
続く中日杯でも単勝1.1倍の人気にこたえ連勝となった。
実は金沢所属馬は現在に至るまでダートグレードを勝っていない。
地元の白山大賞典でも、04年エイシンクリバーン、06年ビッグドン、10年ジャングルスマイル、12年ナムラダイキチと、金沢所属馬は2着が4回(地元馬限定だった07年は除く)。
それらより以前、いずれダートグレードを勝てるのではと期待されたのがトラベラーだった。
結果的に勝てなかったとはいえ、他地区遠征のダートグレードで3度の3着はどれも印象深い。
母になったトラベラーは、初仔のトラベラーズギフト(牝、父バチアー)が母と同じ小原典夫厩舎に所属し、北日本新聞杯で3着と好走を見せた。
文/斎藤 修
OddsParkClub vol.63より転載